朝鮮日報がソン・ヒヨン前主筆の辞表を受理し、読者に謝罪した。ソン前主筆は被疑者として検察の調査を受けるまでになっている。この事件が大統領府のウ・ビョンウ民政首席の疑惑に関連していることは事実だが、事態がここまできたのには朝鮮日報の責任も大きい。
朝鮮日報はこれまで言論の権力として万能に近い力を振りかざしてきた。大統領選挙になるとお気に入りの候補を当選させるために強大なメディアの影響力を悪用していると非難されたのは一度や二度ではない。最近では2013年に権力の中枢からはずれたと見られたチェ・ドンウク検察総長を締め出すのに決定的な役割を果たした疑惑にまみれた。こうした朝鮮日報が仲間と見られた大統領府に対立して首脳陣が辞任して検察に召喚されることになったのだから、後頭部を殴られたようなショックを受けるに値する。しかしこの状況は朝鮮日報自らが招いたものだ。マスコミの道義から大きく外れ、法の上に立つ権力として君臨してきたのが朝鮮日報の過去数十年の歴史だ。ソン前主筆が大統領府の首脳を会社のオフィスに呼び、大宇造船海洋のコ・ジェホ前社長の再任を依頼したことが言論権力者としての朝鮮日報の姿を象徴している。
今回の事態に関して朝鮮日報の対応姿勢も残念だ。朝鮮日報が8月31日付の1面で「読者に謝る」として表明したのは当然のことである。しかしこの事件をソン前主筆の個人の「逸脱行為」と規定して、「指摘されている疑惑は今後厳正に是非が判明する」とのみ言及しているのは責任あるマスコミの姿勢ではない。ソン前主筆は単純な個人ではなく新聞の顔のような席にあった要人だ。危急の状況を脱しようとトカゲの尻尾切りのような対応をしようとしているのでないならば、朝鮮日報は自らの調査を通じてまず事実を明確にすべきである。今のような玉虫色でやり過ごすような態度のために、同紙は何かもっと大きな弱みを権力に握られているのではないかという疑惑が出ているのだ。
朝鮮日報は今回の事件を契機に度を越した権力意識を捨てて、マスコミ本来の姿に換骨奪胎すべきである。朝鮮日報は今回も従来の姿から脱皮できなければ、第2、第3のソン・ヒヨン騒動は避けられない。今回の朝鮮日報の事件はマスコミ界全体にも警鐘を鳴らしている。権力監視という任務に背いて、政治・経済の権力に癒着したり、つまらない権力を私益に利用していることはないか、言論界は深く自省すべきである。
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韓国語原文入力: 2016/08/31 18:01