本文に移動

[コラム] 「我々が違うと言ったら違うんだ」と言い張る国家情報院の愚かさ

登録:2015-07-22 10:23 修正:2015-07-22 11:51
18日に遺体で発見された国家情報院職員イム氏の葬儀室が用意された京畿道龍仁市の葬儀場で、20日午後国家情報院の同僚職員らが弔問のために列をつくっている =龍仁/キム・ギョンホ先任記者//ハンギョレ新聞社

 45歳の国家情報院職員はなぜ自ら命を絶ったのか。ここ数日、そのことが頭から離れない。事件後に会ったある与党議員は「国家情報院の職員に会うと、素朴で世の中のことがあまり分かっていない人が多い」と話した。

 国家情報院は“保安”が命であり、その職員は身分を明かすこともできず、自然に世間との垣根を作っていくことになる。教会の執事だったという自殺したイム氏も、教会の人でさえ国家情報院職員であることを知らなかった。国家情報院は北朝鮮という実在する敵と常に向き合う。毎日戦闘を行っているも同然だ。組織に対する忠誠も違わざるをえない。「スパイ証拠捏造事件」「安全企画部xファイル事件」の前にも自殺を試みた職員が何人もいた。自分を犠牲にしても組織を守る意識が強いためのようだ。

 死んだイム氏は、残された子供たちの心に大きな傷を与えるのを知りながら、最後まで国家情報院の心配をしていた。なぜ自らのアイデンティティを、「赤ちゃんのパパ」であったり「腹筋を作ることを約束した妻の夫」であったり、自分自身にせず、国家情報院職員だけにしたのだろうか。

 そんな望みとは裏腹に、彼は問題をより大きくし、彼自身が削除したファイル内容を「100%復旧した」と言われても、もはや信じ難くなってしまった。残念だが、彼が命を捧げて守ろうとした国家情報院は一層窮地に追い込まれている。

 彼の死後、国家情報院は「同僚職員を見送り」という国家情報院職員一同の名義で声明を出した。本当に職員の総意なら、こんな国家情報院は一刻も早く解体せねばならないだろう。その声明には怒りが滲みでている。国民の疑惑提起を「百害無益」「嘆かわしい」「無責任な発想」と決めつけ、「(疑惑提起にともなう)結果に対する責任も負わねばならない」と脅している。多くの国家情報院職員の考えも、この声明とたいして変わらないのかもしれない。しかし考えることと行動することでは次元が異なる。国家情報院の威力を思うと、彼らがなにかしでかす前に、電源プラグを抜き取ってしまわなくてはならないようだ。幹部が「国家情報院一同」の名義を盗用したのなら、むしろ幸いと言うべきか。

 声明内容を圧縮すると、「査察(監視)はなかった。信じてほしい。このくらいにして止めよう」に尽きる。「国家情報院は私たちの国民に対する査察がなかったことを明確にしたし、静かに確認すればすむこと」、「イタリアのハッキングチーム社プログラムを35カ国の97機関が購入した。すべて『ノーコメント』の一言で対応し、何の問題もなく受け入れられた」、「遺書で『内国人、選挙に対する査察はまったくなかった』と明確に明らかにした。遺書内容は文字通りに受け入れなければならない」。合理性の欠如は甚だしく、1970~80年代の中央情報部・安全企画部時代の臭いを拭い去れない。「自分が違うと言ったら違うのであり、なんでこう口数が多いんだ。どうして世の中はこんなふうになってしまったのか」といった鬱憤が感じられる。

クォン・テホ政治部長//ハンギョレ新聞社

 「他の国では問題にならない」理由が分からないなら教えよう。AP通信は19日、「韓国でより敏感になる理由は、国家情報院が過去にも不法盗聴、民間人監視などの疑惑があったためと見られる」と報じた。人権弾圧後進国では文句を言うなとなり、人権先進国では情報機関に対する信頼の蓄積があるためだ。少なくとも情報機関に不意打ちをくらう恐れはないだろう。信頼には、信頼しない人に問題があるのではなく、信頼を与えられない人に問題がある。国家情報院は「国民」のためにあるのであって、「国家情報院」のためにあるのではない。

 国家情報院は2012年の大統領選挙コメント事件当時、検察で事実が明らかになった後も「国家情報院一同」による謝罪声明など出さなかった。一同の声明は、その時にこそ出されて然るべきものだった。にもかかわらずハッキング疑惑が明らかになってもいないのに、「なにを言うか」と国民に向かって怒っているのだから恐ろしくなってしまう。愚かだからより恐ろしくなるのだ。

クォン・テホ政治部長(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-07-21 18:26

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/701157.html 訳Y.B

関連記事