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[社説] 植民地時代の被殺者名簿発見と今後の課題

登録:2013-11-22 00:26 修正:2013-11-22 08:16

 日帝強制占領期間(日本植民地時代)に起きた3・1運動(朝鮮独立運動)と関東大震災の際に虐殺された韓国人犠牲者名簿などが初めて公開された。日本東京の駐日韓国大使館倉庫に保管されていて新築工事の過程で偶然に見つかった名簿には、当時の犠牲者の住所と生年月日だけでなく殺害された具体的や状況が記されている。日帝強制占領期間に我が民族が被った被害と苦痛を研究できる史料としての価値とともに、遺族たちが独立有功者(独立運動功労者)の追加申請をしたり被害補償を請求する際の立派な根拠になるものと見られる。

 国家記録院が19日に公開した文書は、‘3・1運動時の被殺者名簿’(1冊217頁、630人)、‘日本の震災時の被殺者名簿’(1冊109頁、290人)、‘日帝時の被徴用者名簿’(65冊、22万9781人)など、計3種67冊だ。この文書は1953年4月の第2次韓日会談を前に1952年12月に李承晩当時大統領の指示により内務部が全国的調査を行って作成したものという。これまで政府が作成したものの中で最も古い日帝強制占領期間の被害資料という点から、当時の被害状況を最もありありと伝える文書といえる。

 この文書の発見により政府は大きく二つの課題を抱えることになった。その一つは国内的に取れる独立有功者の審査と徴兵・徴用被害者についての補償措置だ。現在3・1運動に関連して独立有功者に指定されている殉国烈士(運動犠牲者)は391人だが、今回発見された名簿には630人の犠牲者が地域別に記されている。重複している名前があるとしても最低限239人が追加審査の対象になるわけだ。政府が実施している強制徴用被害者補償の過程で具体的な証明資料がないために補償を受けられなかった人たちも便宜を受ける道が開かれた。政府は被害者遺族が問題を提起するのを待つ受動的な態度ではなくこれらの名簿を活用して積極的に事後対策を整備することを望む。

 二つ目は、この名簿を元に日本に改めて賠償要求を提起するかという問題だ。政府は2005年に韓日協定文書を公開して日帝強制占領期間に起きた被害の中で日本軍軍隊慰安婦、サハリン同胞、原爆被害者の三つを除いては全て韓日請求権協定を通じて解決されたという立場を明らかにしたことがある。今回新たに発見された文書に基づいて、3・1運動と関東大震災の被害を外交問題として提起するかは、請求権協定の解釈に関連して非常に微妙な問題だ。政府はこのような事案であるだけに、国民感情にあおられて生半可な対応をするのでなく、堅実な資料と法論理を基に実効性あるように対処しなければならない。

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/611985.html 韓国語原文入力:2013/11/20 19:08
訳T.W(1203字)

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