本文に移動

【市民編集者の目】独裁の兆候、沈黙する言論

登録:2013-09-02 20:11 修正:2013-09-02 22:25
明白な憲法蹂躪に目を閉じた言論は危険な兆候
「パク・クネ政府6ヶ月」の <ハンギョレ>企画記事“無気力”
kimyh@hani.co.kr

 パク・クネ大統領の話法の節制美は逸品だった。 言葉は惜しむほどその威力は大きくなるもの。 「パク・クネ印の約束は実践される」というイメージもその節制された話法の副産物だった。 彼女は時期適切なキャッチフレーズを先行獲得するのにも卓越した感覚を見せた。 大統領選挙過程でその才能は遺憾なく発揮された。 「経済民主化」と「創造経済」 「オーダーメード型福祉」「韓半島信頼プロセス」「東西和合」「不偏不党人事」。 少なくとも有権者の耳をそばだてさせる力を持った“美しい”言葉だった。

 パク・クネ政権がイカリを上げて6ヶ月が過ぎた。 長い沈黙の末に、時々一言ずつ投げられる節制された話法は相変わらずだ。 その簡潔な話法の中にパク大統領の約束の実体および国政哲学が徐々にあらわれている。 公約は気付かれないうちに音もなくひそかに覆された。 約束を守れなくなった困難な事情を誠意を尽くして説明することもない。経済民主化や福祉は期待水準を大きく外れている。 人を使うのにも偏狭だという批判を受けるに値する。 民主主義に対する大統領の誤った認識も明らかになった。 特に最近の国家情報院事態に対する大統領の問題意識は常識からかけ離れたものだ。

 「大統領選挙で国家情報院のどんな助力も受けていない。 民生問題ならばいつでも与野党指導部と会うつもりだ。」 野党代表の大統領面談要求を一蹴する大統領の発言だ。 大統領の“的外れな答え”は常識的な国民の期待を裏切った。 パク大統領が懸命に事態の本質から目をそらしていると映る。 市民は国家機関の憲法蹂躪行為、これを正当な活動だと強弁するそのずうずうしさに憤っているのだ。

 法律違反そのものより恐ろしいことは、これを恥じない“犯罪不感症”だ。 ここから始まる破廉恥、不義の気風が吐き出す毒素が怖い。 「正義のない国家は強盗の群れと同じだ」という天主教司祭の声には「不義の鎖」に対する憂慮がにじんでいる。

 検察が確認した国家情報院犯罪の深刻性に対する大統領の認識から、独裁の兆候が読まれる。 国民の声を正面から否定しているのだ。 大統領の独善に対する政府与党の沈黙はその危険な兆候をあおりたてる。 言論もまた、おあつらえ向きの環境を作っている。

 言論は事態の本質に目を閉ざしている。 明白な憲法蹂躪行為に対し目を瞑り与野党の争いを平面的に“中継”している。 どちらの言葉が正しいか誤っているかの明快な判断はない。 代わりに熾烈な“政争”だけがある。 市民の政治的無関心と政治的冷笑主義は一層固まっている。 パク・クネ時代の言論はパク・チョンヒ時代の沈黙を凌駕する恐ろしい害悪を吹き出しているわけだ。

 大韓民国の政治史に“暴圧の遺伝子”を移植させた時代として記録されるパク・チョンヒ時代は、むしろ一筋の廉恥が生きていた。 対国民説得が必要だと判断した場合には、パク・チョンヒは野党代表に会って対話をする姿を演出することもした。 時には問責人事を通じて国民の要求に応じるジェスチャーも見せた。

 数百人の言論人を街頭に追い出したパク・チョンヒの暴圧も、廉恥が残っていることを知らせる悲しいアイロニーであった。 言論弾圧は民心に対する独裁者の不安を反映すると見ることができる。 不義に対しては誰もが憤った時代、言論精神はまだ息をしていた。 不義に抗して正義を追求する良心、少なくとも不義に抗する勇気のないことを恥じる廉恥が言論に残っていたという証拠は多い。 “維新”末期、民心が沸き立っていた時期、いわゆる「朝中東」と呼ばれる新聞の若い記者たちほとんどが独裁に批判的だった。

 今日では“武装解除”された言論の気が抜けた報道がある。 明白な“独裁の兆候”を見ても目を閉じる。 パク・クネ大統領とセヌリ党は言論を怖がらない。 国民を恐れることもない。 言論はかえって「盾」の役割に忠実だ。 黙っていても自分で判断して防御してくれ、大統領と政府与党のかゆいところをかいてくれる。 パク・チョンヒ時代の沈黙が強要されたものだったとすれば、パク・クネ時代の沈黙は自発的で能動的だ。

 <ハンギョレ>に対する期待が大きいだけに、その責務は重い。 しかし<ハンギョレ>の紙面からも“マンネリズム”を見るのは非常にもどかしいことだ。 去る23日付6面は多少突拍子もない感じを与える。 国家情報院の不法に対する粘り強い報道態度とは似合わない“無気力な”報道であった。

 <ハンギョレ>はこの日「パク・クネ政府6ヶ月」を扱った。 外交および南北関係、政府・大統領府の人事および国内政治、経済政策など3大懸案に焦点を合わせた記事だった。 記事は鋭さも、深さも、精巧さも、真摯性も見られなかった。 読者の目を引くような主題ではなかっただけに記事の躍動性が感じられるわけがない。 「スタート6ヶ月」という物理的な道しるべで継ぎ合わせた作為的企画物に過ぎなかった。

 パク・クネ時代の“危険な兆候”に注目していないのは意外だ。 正義が踏みにじられ常識と廉恥が消えた野蛮的現象こそ、国家動力を食い荒らす最悪の変数ではないのか。 執権初期の雰囲気は執権5年を支配するという点で注目されるところだ。 いっそこの日の“メインボックス記事”の主題、“ワンマンリーダーシップ”の限界に集中した方が、パク・クネ政府6ヶ月を理解するのに役立ったのではないか。

 高い支持率に対する盲目的な意味付与も他の言論と違うところがなかったという点も、期待に外れる部分だ。 世論調査の弱点をあえてことあげする必要はなかろう。 支持率が如何に高いとはいえ、ナチ治下のヒットラーの人気にはかなわないのだ。 世論調査の数字は軽い参考資料としてのみ活用するのが正道だと信じる。 ややもすればその数字に対する盲目的な信頼がもたらすかもしれない大統領の失策を予防するためにも。

コ・ヨンジェ言論人・前京郷(キョンヒャン)新聞社社長

 パク・クネ政府の言論政策、特に不当に解職された言論人の原状回復に対する<ハンギョレ>の関心不足が残念だ。 言論の自由は権力に対する批判機能の確保が前提になることは言うまでもない。 正当な批判活動で解職された言論人が本来の位置に戻ることこそ最小限の、そして最も緊急な宿題ではないのか。 名ばかりの国民大統合委員会の遅々として進まない処分ばかりを眺めているのか。

 今や真の言葉が消えた時代だ。 大統領の傲慢を忠告する政府与党の声は聞こえない。 国家機関の憲法蹂躪を批判する“ロウソクのあかり”が反対に「従北」と罵倒される世の中だ。 不義の時代、<ハンギョレ>の責務は実に重大だ。

※ このコラムは韓国言論振興財団の言論振興基金が支援されます。

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/601427.html 韓国語原文入力:2013/08/30 16:37
訳A.K(2949字)

関連記事