<ヒックとドラゴン(原題:How to Train Your Dragon)>というアニメ映画がある。 よく龍といえば如意珠を咥えて昇天する姿ばかりを思い浮かべがちだが、この映画に登場するドラゴンは可愛いものから暴悪になったり翼が折れた姿まで様々だ。
私たちがよく‘小川から龍が出た’と言う時も、映画のようにその姿は多様だ。 それでも概して貧しい家から良い大学へ行ったとか、高等学校や地方大を出ても大企業・公企業・金融機関など安定した正規職を持つようなケースが大部分だ。 1970~80年代の若者たちもそのような龍の夢を見て生きてきた。 30~40年が過ぎて多くの人々が少なくとも小川からは抜け出し、夢をかなえた人々も多い。 80~90年代には高い経済成長に力づけられて社会内での垂直的移動が活発だったためだ。
特に大願成就の象徴である如意珠を口に咥えた大龍の夢は、田舎で高等学校を卒業して上京して大学に進学し、高等試験(司法試験・上級公務員試験)に合格して判検事や高位官僚に上がることだった。 人生逆転は自身だけでなく家族全体の地位上昇まで可能にした。
しかし貧困の相続を断ち切って、宝珠を口に咥えて昇天できる機会はますます減っている。 ロースクール制度が施行されたが、一学期の授業料が1,000万ウォン内外で‘金スクール’と呼ばれるほどだ。 高等学校や小さな地方大を出て、貧しくとも努力の末に司法試験に合格するケースは、まもなくはるかな思い出になるだろう。 司法試験は2018年に廃止され、ロースクール制度が全面施行される予定だが、ロースクールの歴史が100年余りになる米国でもこの制度が低所得層の学生たちにとって巨大な既得権障壁になっているという批判が強い。
制度の趣旨と現実が違った結果、低所得層のための弁護士予備試験制度を用意する方案も論議されている。 ロースクール制度を元に戻せないなら、予備試験制度であれ他の方法であれ、小川から龍が出るようにする道は必ず開けなければならない。
我が国の大学進学率は80%台で、経済協力開発機構(OECD)国家中で最も高い。 もちろんもっと勉強しようとする人々に‘勉強する必要はない’と断言できる政府はない。 問題は大学進学に多くの費用がかかり、過去とは異なり今はアルバイトで学費を用意することは事実上不可能になったという点だ。 多くの青年たちが学資金借入後に信用不良者に転落したり、借金を背負って社会に第一歩を踏み出す。 その結果、余裕も覇気もなくならざるを得ない。 結果的に学歴インフレも慢性化された。 例えば銀行で大卒者がする仕事の70%はかつては商業高等学校など高卒者がしていた仕事だ。 社会全体に途方もない非効率が累積しているわけだ。
現実的に最も適切な龍の姿は、高等学校だけ終えても公企業や大企業に行けるよう、いわゆる‘新高卒時代’を切り開くことだ。 特に大企業・公企業・金融機関全般に広げるためには、国会で高卒採用割当制義務化を考慮してみる時だ。 もちろん民間の経済活動を制約してはならないという見解もある。 だが、学歴より能力中心社会に進むために構造的変化が必要だということには誰もが共感しているので、社会的合意点は導出できる。
教育現場の変化も必要だ。 最近、産業需要オーダーメード型人材を養成しているマイスター高校は一層拡大する必要がある。 今年も卒業生の90%以上が就職し、100%に達する学校も続々と出てきている。
企業の認識変化も重要だ。 この間、企業らは必要な人材を大学が育てていないと不平を言ってきた。 だが、大学は企業に必要な人材だけを輩出する所ではない。 純粋学問と基礎学問の発展にも貢献しなければならないためだ。 したがって企業が高卒を優先採用し、必要に応じて会社に必要な人材にすべく大学教育を支援する企業文化が必要だ。 進化した資本主義では、企業の公益的役割が重要だ。 会社に合う人材を育てることは企業だけでなく公益にも役立つ。
学歴インフレーション、学閥万能主義、高額な教育費など問題が複雑多様なほど解決法は最も簡単でなければならない。 中世の哲学者オッカムの剃刀法則のように簡単でこそ小川から龍が出るようにできる。 従って国会が先だ。 ‘高卒採用割当制義務化法’、‘先就業 後進学 支援法’が発議・立法されることを期待する。
クァク・スンジュン高麗大経済学科教授