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[チョン・ソック コラム] 北核問題の本質

登録:2013-02-14 10:09 修正:2013-02-14 10:32
チョン・ソック論説委員室長

 20年間にわたり進行された北核問題を要約してみれば、一定のパターンが繰り返されているということがわかる。 北韓の挑発で危機がもたらされれば、米国をはじめとする国際社会が各種制裁措置を取り、ある瞬間にこれを引っ込め対話を通じて合意点を探していく。 そうするうちに合意が守られない状況になれば再び危機が醸成されて、制裁と対話局面が繰り返される。

 1993年北韓の核拡散禁止条約(NPT)脱退で惹起された1次北核危機がそのような場合だ。 北韓がNPTを脱退した以後、米国の警告を無視して核燃料棒抽出を強行するや米国は94年6月に寧辺(ヨンビョン)核施設に対する精密打撃を準備した。 クリントン大統領は国家安保会議でそのために3段階の作戦計画を検討するなど北韓攻撃は秒読み段階に入った。 幸いカーター前大統領が平壌(ピョンヤン)で金日成に会い突破口を用意することによって戦争の一歩直前で北韓攻撃は撤回された。 米国が攻撃をあきらめたのは‘軍事的精密打撃’が全面戦争に広がる場合に被ることになる途方もない被害に対する負担も作用した。 当時、米国国防部は全面戦争が起きれば米軍5万2000人、韓国軍49万人に民間人100万人以上の死傷者が発生すると推算した。 以後、米国と北韓は対話を通じて1994年10月に北核凍結と北韓軽水炉建設などを主な内容とする‘ジュネーブ合意’を引き出した。

 1次北核危機以後10年が経った2002年に造成された2次危機も同様の過程を経た。 北韓は2002年末に米国が対北韓重油支援を中断するなど‘ジュネーブ合意’を事実上破棄したと非難し核凍結措置の解除を宣言した。 だが、2次危機も2003年8月に始まった6者会談を通じて2005年北核放棄などが盛り込まれた‘9・19共同声明’を採択して落ち着いた。 しかし北核検証体制構築を巡る異見などにより2008年8月北韓が‘核不能化中断声明’を発表した以後に北核不能化過程は現在まで膠着状態だ。 その渦中で北韓は2006年10月1次核実験、2009年5月2次核実験に続き、去る12日には第3次核実験をするに至った。

 第3次核実験以後に展開している国際社会の反応も1,2次北核危機時にみられたパターンから大きく抜け出さないものとみられる。 国連安保理は北韓の第3次核実験を強力に糾弾し、追加対応策を用意することにした。 わが国政府も国際共助を強調して強硬対応を明らかにしている。 だが、このような制裁一辺倒の対応で北核問題が解決できる可能性は事実上ゼロに近い。

 結局、今回の北核危機も当分は制裁局面が持続するだろうが対話を通じて突破口を用意する他はない。 これまで経験した通り、対話に到達する時間が遅れれば遅れるほど私たちと国際社会の負担は増え、北韓の核開発能力は増大するだろう。 ‘待つのも戦略’といっていた李明博政府5年間にどんなことが起きたかを見て回れば状況は明確になる。

 もう一つ注目しなければならない重要な点は、北韓が体制安保次元で核開発を進めてきたということだ。 1990年代初めの社会主義圏没落で体制維持に不安を感じた北韓は本格的な核開発を始め、米国から体制の安全を保障するという約束を受けて協議にはいった。 これは逆に言えば、体制の安全を保障する合意案が守られなければいつでも核開発を再開する可能性があるということを意味する。 2次北核危機はそのようにして造成された。 この過程で合意案破棄の責任が誰にあるかについては論議の余地があるが、北韓は自身の体制の安全がはっきりと保障されなければ核開発を継続するという点は明確だ。 今回の第3次核実験もその延長線上にある。

 小枝を取り払って見れば解決法は簡明だ。 北核問題の解決は北韓-米国直接対話で糸口を見つけるべきで、北韓の体制の安全を保障する時にだけ可能だ。 わが政府の役割もここに重点を置かなければならない。 対内外的な力学関係と国際情勢がどれほど変わって、北核の性能が質的に改善されたといっても、他にこれといった対処方法はない。 このような北核問題の本質を度外視した強硬対応は状況を一層悪化させるだけだ。 今までがそうだったように。

チョン・ソック論説委員室長 twin86@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/573746.html 韓国語原文入力:2013/02/13 20:18
訳J.S(1890字)