イ・ドンフプ憲法裁判所所長候補者を巡り話が多い。 何よりも公職者としての品位を維持できない点が大きな問題になっているようだ。 李明博政府が任命した高位公職者が平凡な市民よりはるかに低い倫理意識を見せた例があまりに多くて、別に驚くべきことでもないが、新たに始まる朴槿恵(パク・クネ)政府でもこうしたことが繰り返されそうで本当に心配が山積だ。 ところでこのような憂慮だけを持ってやり過ごすには状況があまりにも重い。
憲法裁判所は国家の基本哲学と原則を決める機関だが、実際には非常に政治的な決定を下す機関であるためだ。 私が憲法裁判所の政治化を強く憂慮することになったのは、新行政首都建設特別法に対して‘慣習憲法’により違憲という決定を下してからだ。 私はその‘ソウルが首都であることは慣習憲法’という決定を見て本当に情なく思ったが、「そちらの人々は力があって金がある人々の利害が決定的に脅かされる時はいかなる奇怪な論理でも作り出す才能を持っているんだな」と考えた。 成文法のある国で、しかも現在の憲政体制と何の連続性もない朝鮮時代にソウルが我が国の首都だったという慣習が‘憲法’的地位を持っているという主張が全く理に適わないためだ。
そして憲法裁判所が何をする所だから憲法解釈権を独占して大統領の政治的意志と立法府が作った法律を一挙に覆してしまうのかということを考えるようになった。 すなわち選出されない司法権力は、過去の軍事クーデター同様に法を愚弄する力を持つ実体であることが分かった。 憲法裁判所が民主化の産物ということは知っており、憲法解釈は高度な法律専門性を備えた人々が務めなければならないということまでは受け入れるが、生涯を司法の勉強と制限された学縁と社交範囲から抜け出したことがないのみならず、権力の影響に馴致された司法官僚らだけがその場に行く資格があって良いのかはまだ理解できない。
そして大統領が自分の好みに合う人をその首長に任命し、多数党が通過させればそれで終わりなのかという疑問を感じる。 ‘朕がすなわち国家’である欽定憲法の時代には‘法服貴族’らが君主の意中に従って判決を下すだろうが、主権は国民にあるこの民主国家で憲法解釈機関、特にその指揮者は当然に大多数国民の常識に近接している人が任命されなければならないのではないかという質問を投じざるをえない。
ところでイ・ドンフプ候補者は憲法裁判所の裁判官の中でも最も国民の常識との距離が遠い立場を持つ人だ。 彼は親日財産還収が違憲と言ったし、インターネット選挙運動禁止が合憲と言ったし、‘ミネルバ’を逮捕した電気通信基本法を合憲と言った。 彼が、民族を裏切った代価で得た財産も私有財産権不可侵原則により保護されなければならないと主張するならば、雇用主の財産権を侵害しかねない労働者の争議権も違憲という決定を下さない保障がどこにあるのか? 裁判官個人としてそのような所信を持つことはありうるが、国家の名前で私たちの社会最上位1%の利益を露骨に代弁してきた人がひたすら‘世襲君主’の意中だけを伺い法服貴族のようになるならば、99%の人々は奴隷のように暮らさなければならないということか?
すべての法がそうだが、憲法は基本的に行政権の牽制と人権保障の精神に基づいている。 そして憲法裁判所裁判官は人権保護で国民の立場を掲げるだけの経歴と所信を持つ人でなければならない。 クァク・ノヒョン前ソウル市教育長の‘事後買収罪’事件を大統領選挙まで待って合憲と決めるなど、きわめて政治的な決定を下すこの機関に既成権力を守護する防壁の役割をしてきた人が首長に任命されるならば、立法府の役割も縮小されるだろう。 民主党がどのようにするかを見守る。
キム・ドンチュン聖公会大社会科学部教授