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[朝の陽射し] 希望のバス6号車の話/チョン・ジェグォン

登録:2013-01-08 20:09 修正:2013-01-08 22:43
チョン・ジェグォン論説委員

 1月5日ソウルから‘希望バス’に乗った。 現代自動車の非正規職解雇労働者チェ・ビョンスン、チョン・ウイボン氏が鉄塔籠城を行っている蔚山(ウルサン)を経て韓進重工業労働者チェ・ガンソ氏が首をくくった釜山へ行く旅程だ。 仮にも労働分野担当の論説委員であるのに去る2年間の4回にわたる希望のバスに一度も共にすることができなかった。 ある種の負債意識が背中を強く押した。

 だが‘からだを動かしたい’という渇望が更に大きかった。 18代大統領選挙後の絶望と嘆きの洪水の中で水に濡れた綿のように沈んだ心と糸巻きのようにこんがらがった頭の中から抜け出したかった。 身を切る寒さに抗して大声を張り上げ走りたかった。

 イ・ナムシン韓国非正規労働センター所長の手に引き上げられて6号車に乗った。 個人参加者のための車両であるため大部分が互いに初対面だ。 なぜ6号車の人々は希望のバスに乗り込んだのだろうか。

 "つい今しがた大学を卒業したのに早くも失業者の境遇だ。 希望に満ちて幸せになりたいが決まらない未来がしんどい。 誰とともに生きていくのかが悩みだ。" (イ・ミジ)

 "大統領選挙が終わって多くの人々が絶望している時、生きてさえいれば希望がうまれるのではないか、単純にそう思っていた。 そして労働者の相次ぐ自殺の消息を聞いた。 彼らにはか細い希望が途切れることだった。 もう少し待てば良くなるという思いがどれほど安易だったのかを感じた。" (財閥企業会社員)

 "とうていだめでした。 子供たちに何を知らせて話すことができるだろうか。 小さい水滴が集まって小川になり、大河になって、海になることを教えるべきではないだろうか。" (金浦(キンポ)の主婦)

 "韓進重工業キム・ジンスク指導委員のクレーン籠城に希望を与えに行って希望をもらってきた。 野蛮な社会が変わることを願ったが想像したよりおぞましい世の中がくるようだ。 共に持ちこたえて希望を得よう。 鉄塔に向かって笑って来よう。" (キム・ヒョンジュン ソウル地下鉄労働者)

 同じだった。 互いに寄り添って慰めて傷を癒して、一緒に暮らす世の中で一歩でも進みたい心だった。 チョン・ウイボン氏が籠城81日間に書き続けた日記を読んで母親に対する申し訳ない思いと懐かしさを表わした時、心の底から一緒に泣いた。 チェ・ビョンスン氏が「辛いです。 寒いです。 人々に会いたくて、降りて行きたいです。 だけど、非正規職を撤廃して人間らしく生きたいのです」として決意を新たにした時、鋼鉄より頑丈な人間の意志に感動した。 二人が明るく笑って蔚山に駆け付けた人々に連帯と愛の気持ちを込めて‘ハート’を描いた時は、最後には勝つ労働者の姿に胸が一杯になった。

 釜山の海風は猛烈に冷たかった。 だが、誰も寒いという言葉を口にできなかった。 整理解雇後の2年間、苦しい生活に耐え復職したお思ったら3時間後に強制休業に投げ飛ばされたチェ・ガンソ氏の苦痛が胸に食い込んだためだろう。 道端に丸く座ってクッパのぬくみを分けて、冷たい怒りを十分に噛み締めた。 チェ氏の夫人イ・ソンファ氏が「必ず帰ってきて勝利して下さい。子供の父親の死を無駄にしないで下さい」と訴えた時、怒りは力強い誓いとなった。

 帰路、誰かが‘6号車の集い’を作ろうという提案をし、即座に連絡先が集まった。 1月25日大漢門前で開かれる金曜ロウソクのあかり文化祭の時にまた会おうという約束もした。 希望のバスが出発地である大漢門に到着した6日午前4時30分、地下鉄が運行を始めていないことが格好の口実になった。 自然に足が近くの食堂へ向かった。 焼酎の杯をぶつけあって力強く新しい年を迎えようとお互いを軽く叩き合った。 その日、社会関係網サービスには6号車の集いのチャット部屋も作られた。

 今年一年は良いことがたくさん生まれそうだ。 のっけから美しい人々と大切な同行をしたから。 希望は街頭から、現場から、そして人々の間から広がり始める。

チョン・ジェグォン論説委員 jjk@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/568781.html 韓国語原文入力:2013/01/08 19:23
訳J.S(1823字)

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