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[朴露子ハンギョレブログより]人間の本性は野獣だと?

登録:2012-11-01 18:17 修正:2012-11-02 00:19

 1992年、ソ連崩壊後、私は空腹のあまり韓国の観光客たちを相手に夏場はほとんど毎日のようにアルバイトをしなければなりませんでした。崩壊直後の時点だっただけに、彼らとの会話も多くは「社会主義がなぜ亡びたか」という質問を中心になりました。彼らが私に説明を求めた時、私は「幹部層の資本化野慾」とか「冷戦体制における相対的弱者であるソ連の相対的貧困、物資不足と孤立がもたらす各界各層の多様な不満」などの客観的な状況や階級的な利害などを取り上げましたが、その多くが「社長」だった観光客たちは私の説明にあまり関心がない様子でした。彼らには既に用意された正解がありましたが、それは「社会主義は人間の本性に合わない」という格言(?)でした。人間はもとより欲深い動物であるにもかかわらず、私利私欲を抑えようとする社会主義は人間のそのような本性に逆っているために遂に亡びたというのが彼らの考え方でした。「欲深い人間に社会主義は合わない」? まあ、ソ連の社会政治制度が果してマルクスとレーニンが語った社会主義と正確に符合していたかという問題をさておいても、私は「社長」たちのこのような「常識」には強く反対しなければなりません。もちろん、彼らの社会、すなわち国内の業界ではおそらく「欲のない人間」はいないはずですが、国内の業界が必ずしも世界のすべてではなく、また世界のすべてを必ずしも代表するわけでもありません。広義の窃盗、すなわち労働者たちが生産した剰余価値の搾取を専門とする「職業的泥棒」たちは、人類を代表するというより、人類の発展における今日の袋小路を表しているにすぎません。

 人間は本当に窃盗で自分のお腹だけを満たさなければ気がすまない、そこまでひどい人面獣心の野獣でしょうか?まあ、資本家の中にはバルザックのゴプセック(小説『ゴプセック』(1835年)の主人公)のようなタイプたちもいるものの、国内の「社長」たちだけを見ても、彼らは必ずしも自分自身だけのために掠奪や搾取を繰り返しているわけでもないではありませんか。「親を養い」、「子供たちに西洋音楽やバレエをさせ、留学させ」、「生活に困る仲良しの同窓を少し助けたり」―略奪者たちの欲望の世界を見れば、少なくとも本人中心の小集団(家族及び擬似家族)などを意識しつつ、無縁の他人たち、特に下位者(労働者など)たちに行悪を行っているのです。もちろん略奪者の施しがその小集団のメンバーたちを必ずしも幸せにするわけでもありません。真の意味でですね。アキヒロ殿下のようなお父さんから「ソウル大に行ける子供以外とは絶対に付き合ってはならない」というふうな訓話(?)を聞かなければならない彼の子供が真の幸せの味を味わおうとすれば、結局このようなお父さんをある程度否定しなければならないのではないでしょうか。ところがここで重要なことは、大韓民国という特等の監獄を管理・監督する看守でさえも(彼らが)善(と思うもの)を施したい対象たちはいるということです。人間である以上、他者たちからの完全な疎外は不可能です。そうだとすれば、もし人間に本人中心の特定の小集団のみならず、全人類が彼らの家族という意識を強く伝え、個々人の掠奪、すなわち剰余価値の受け取りが不可能な経済システムを稼動させれば?もちろんそのようにしたところで、人間の完全な「改造」はすぐには不可能でしょう。この新しいシステムにおいても革命的な情熱が冷めれば、管理者と被管理者の間の密かな階級化が始まるため、思想の絶対的な利他主義の真正性が疑われるようになり、また国際的な孤立や様々な物品の不足などで人間ひとりひとりの生存本能が発動され、利他主義的な思想からの個人的な離脱も始まります。しかし、それにもかかわらず、このような状況で多くの場合は人々が略奪者主導の社会では想像もできない、新しい方式で行動したりもします。

http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%92%D1%81%D0%B5%D1%80%D0%BE%D1%81%D1%81%D0%B8%D0%B9%D1%81%D0%BA%D0%B8%D0%B9_%D0%B8%D0%BD%D1%81%D1%82%D0%B8%D1%82%D1%83%D1%82_%D1%80%D0%B0%D1%81%D1%82%D0%B5%D0%BD%D0%B8%D0%B5%D0%B2%D0%BE%D0%B4%D1%81%D1%82%D0%B2%D0%B0_%D0%B8%D0%BC._%D0%9D._%D0%98._%D0%92%D0%B0%D0%B2%D0%B8%D0%BB%D0%BE%D0%B2%D0%B0  私が生まれたレニングラードでは「全露植物栽培研究所」という名前の機関があります()。あの有名な聖イサアク大聖堂の近くにあり、1941年にファッショたちの侵略が発生した際の名称はもちろん「全ソ連邦植物栽培研究所」でした。世界の農民たちを助けるために、全世界の種子の資料を収集、保管し、種子の遺伝学的な研究をする機関です。農業のためにはなくてならない機関です。1941年にこの機関の事情は極めて複雑で不利なものでした。スターリンの粛清の渦中で創立者である偉大な遺伝学者ヴァヴィロフ元士(http://ko.wikipedia.org/wiki/%EB%8B%88%EC%BD%9C%EB%9D%BC%EC%9D%B4_%EB%B0%94%EB%B9%8C%EB%A1%9C%ED%94%84)は罪もなく収容所に送られ苦しみの中で死亡しましたし、全体的には遺伝学研究が冷遇されました。しかも1941~1943年の間「民主的」なフィンランドまでが加勢し、ファッショとそのパートナーたちはレニングラードをほぼ900日間包囲し、約百万人の人民を餓死させました。近現代史では珍しい大々的な餓死事態でした。植物の種子なら都市全体が飢え死にするあの阿鼻叫喚の中で研究所の従事者たちは当然お粥にでもして食いつなぐことができたはずですが、果して実際にはどうなったと思いますか。正解は、その貴重な種子の資料(約2万種類)にはまったく手を触れなかったそうです。研究所の従事者の内28人が餓死したにもかかわらず、全世界から収集した植物資料には絶対に手を出さず、最後の命が残っているまで守り抜きました。そうしているうちに死んだりもしたのです。参照までに、彼らがこうして命を賭けて保存した資料の中にはヴァヴィロフ元士が1929年に朝鮮を訪問した際に収集した朝鮮の植物資料もありました。

 国家から冷遇された彼らがここまで自己犠牲を払った理由は何だったでしょうか。処罰に対する恐怖?当時のその研究所の(極めて低い)位置や遺伝学に対する無視などから見て、処罰はそれほど苛酷なものではなかったかもしれないし、また処罰されるからといっても、どうせ飢え死にする人にはそんなことはすべて相対的です。愛国心?彼らが守り抜いた資料の多くは外国から収集してきたものであり、ロシアの農業には無用の物でした。小集団の圧力?彼らの所属する小集団の多くが餓死する状況ではこれも相対的なものでした。結局、私に考えられる唯一の返答は、彼らが本当に全人類、すべての人民のためにその貴重な世界の植物資料を守り抜こうとして死んでいったということです。本人たちの理念どおりです。彼らの理念とは、人間が人類の構成員である以上、人類の進歩と幸せのために全力をつくさなければならないし、必要な時には犠牲も払わなければならないというものでした。革命的な闘争も人類のための一つの方途であれば、このような科学事業での犠牲もそうです。スターリンによる革命の捻じ曲げも、彼らの理念を変質させることはまったくできなかったわけです。

 彼らの犠牲を念頭に置きつつ改めて考えれば、人間は絶対的に私利私欲だけを満たそうとする野獣ではないのです。特別なニーチェ的な超人でもないのに、普通の科学研究所の普通の従事者であっても、本当の意味で人間が他者たちのためにならなければならないという強い信念を持ち、個々人の剰余搾取がない体制で生きるならば、いくらでも殺身成人の姿勢を貫くことができるということです。そして、人類は結局このような体制の変革の先例に―より良い方法で―従わなければ、それこそ人類歴史の袋小路に至ることでしょう。資源が枯渇し環境汚染が臨界地点に達している今日の状況では、地球はこれ以上略奪者たちの社会を容認できません。私たちの選択は、個々人に内面化された利他主義、或いは野蛮と共滅なのです。しかし、個々人に内面化された利他主義は、社会経済的には必ず社会主義の実施を伴わなければできません。

朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/52892 韓国語原文入力:2012/10/26 03:46
訳J.S(3731字)

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