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ポルトガルで将来を見込まれた2人の物理学生、米国で天才と殺人犯に分かれた運命

登録:2025-12-23 07:56 修正:2025-12-23 10:31
ブラウン大学銃乱射事件の容疑者、大学同期生のMIT教授も殺害 
リスボン工科大学で将来を嘱望された成績上位の物理学生の同期 
25年後、名門大学のスター教授と銃乱射犯として出会い悲劇
米国ブラウン大学銃乱射事件のクラウディオ・ネベス・バレンテ容疑者が、大学の同期生であるマサチューセッツ工科大学教授を殺害した後、逃走しているときに監視カメラに記録された姿//ハンギョレ新聞社

 25年前、将来を見込まれた2人の物理学生のうち、1人は米国の名門大学のスター教授になり、もう1人は彼を撃って殺害した。

 13日、米国ブラウン大学で銃を乱射して2人を死亡させた後に逃走した容疑者が、2日後に再びマサチューセッツ工科大学で教授を務める大学の同期生を射殺して逃走し、自殺して生涯を終えた。容疑者の犯行動機に関心が集まっている。

 13日午後、米国の名門大学群であるアイビーリーグに属するロードアイランド州プロビデンスのブラウン大学のバラス・アンド・ホーリー・ビルディングで、銃が乱射された。2人が死亡、9人が負傷した。容疑者はレンタカーに乗って逃走。警察が総動員令を発令し捜索を行うなか、2日後の15日、80キロメートル離れたマサチューセッツ州ブルックラインのあるアパートで再び銃声が鳴った。そこに住んでいたマサチューセッツ工科大学(MIT)のヌノ・ロウレイロ教授が殺害された。

 警察は両事件の容疑者としてクラウディオ・ネベス・バレンテ(48)を特定することに成功し、追跡を開始した。しかし、3日後の18日夕方、彼はニューハンプシャー州セイラムの商業用倉庫の施設内で、頭部を銃で撃ち負傷した状態で発見された。自殺と推定される。捜査当局は彼の死亡が確認された後の18日夜、記者会見を通じて、両事件でバレンテが容疑者だとして身元を公開した。

 25年前、ポルトガルのリスボンの名門工科大学で一緒に卒業した2人の若き物理学生は「天才」と呼ばれ、国際的に活躍する科学者の道を約束された。ところが、2025年12月、2人のうち1人は米国マサチューセッツ工科大学の核融合研究室を率いる教授になっていた。もう1人は、ブラウン大学の講義室で銃を乱射した後、その教授の自宅まで行って彼を殺害し、自ら命を絶った事件の容疑者となった。

 バレンテ容疑者は、リスボンの名門工科大学「インスティトゥート・スペリオール・テクニコ」(IST)で物理工学を専攻し、殺害されたロウレイロ教授も同期だった。バレンテ容疑者はロウレイロ教授よりも卒業成績が上である「首席クラス」の学生だったと、同期生と教授が述べた。バレンテ容疑者は1998年、ISTで助教に任命され、2000年に解任されたという記録が残っている。その後の彼の学問的キャリアは方向性を失った。学校側は「捜査の進行と遺族を尊重し、これ以上の詳細は明らかにしない」とだけ述べた。

 バレンテ容疑者は2000年代初め、ブラウン大学の博士課程に留学。2000年8月から2001年春まで学生ビザの身分でブラウン大学の物理学関連の博士課程に登録し、2001年に休学を申請した後、2003年に自主退学した。現時点で判明している最後の住所地は米国フロリダ州マイアミだった。

 バレンテ容疑者の大学の同期生であるヌノ・ロウレイロ教授は完全に異なる軌跡を歩んだ。IST卒業後、ポルトガルのプラズマ核融合研究所で研究と組織運営を担当し、頭角を現した。その後、米国マサチューセッツ工科大学に籍を移し、核融合研究室の責任者となり、将来を嘱望される理論・実験物理学者に成長した。

 ポルトガルのIST側は、バレンテ容疑者とロウレイロ教授が1995~2000年に同じ物理工学課程に共に登録されていたことを確認した。バレンテ容疑者は成績上位圏、ロウレイロ教授も同じく最優秀学生と評価された。2人とも1990年代後半のポルトガル科学界の「スター候補」として期待されていたという評価だ。

 2人に何があったのか、どのような関係だったのかについてはまだ明らかになっていない。捜査機関と両国のメディアは「成功した過去の同期生に対する執着、または歪曲した競争心」「メンタルヘルスの悪化」「長期の経済・社会的挫折」などのさまざまな仮説を提起しているが、決定的な証拠や遺書はまだ確認されていない。

 ただし、バレンテ容疑者が博士課程を履修したブラウン大学で銃を乱射し、成功している同期生であるロウレイロ教授を訪ねて殺害したことから、彼の劣等感や挫折感を垣間見ることができるとも解釈されている。

 ポルトガルの現地新聞「プブリコ」によると、バレンテ容疑者を学部時代に教えたある教授は、彼は授業時間に「対決的な傾向」をみせており、他の学生に比べて答えを知っていると言うのが好きだったと回想した。バレンテ容疑者はブラウン大学でも適応に苦労していたとみられる。ブラウン大学の博士課程の同期であるシラキュース大学物理学部のスコット・ワトソン教授は、バレンテ容疑者が授業を一緒に聞いている他の学生たちを「奴隷」と呼んだことでトラブルとなり、喧嘩をやめさせたりしたこともあると述べた。バレンテ容疑者は授業があまりにも易しいと不平を漏らすなどして怒りをあらわにし、ブラウン大学での生活に退屈さを示していたと回想した。

 結局、バレンテ容疑者は2001年春にブラウン大学大学院を休学し、2年後には自主退学した。彼はポルトガルに帰国して通信会社に就職し働いていたとされる。彼は抽選で米国の永住権を与えるプログラムによって、2017年9月に米国の永住権を取得した。米国移住後の居住地は、フロリダ州マイアミになっている。ブラウン大学退学後、特に米国に再び戻った後、バレンテ容疑者に何があったのかについてはまだ分かっていない。バレンテ容疑者に殺害されたロウレイロ教授の親しい友人たちは、捜査当局が彼の身元を発表するまで、バレンテ容疑者の名前は聞いたことがなかったと述べたと、ニューヨークタイムズが報じた。

 バレンテ容疑者は事件発生の数週間前から、ロードアイランドとマサチューセッツ、ニューハンプシャーの一帯を歩き回っていた状況が確認された。バレンテ容疑者はレンタカーのナンバープレートを変えたり、個別に個人倉庫を借りたりするなどして、追跡を逃れようとする対応を取っていたと、連邦捜査局が裁判所に提出した文書で明らかにした。犯行を計画的に準備していたことを示唆している。検視の結果、バレンテ容疑者は発見前日の17日に自ら撃った銃の傷で死亡したと推定される。ロウレイロ教授を殺害した2日後に自殺したのだ。

 事件の内的動機はミステリーのまま残っている。

チョン・ウィギル先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/1235791.html韓国語原文入力:2025-12-21 19:15
訳M.S

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