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「日本人として、朝鮮を対象にした日本の犯罪を立証しなければと思った」

登録:2023-11-17 06:38 修正:2023-11-17 07:31
イム・ジョングク賞特別賞を受賞した樋口雄一・元高麗博物館館長
樋口雄一元高麗博物官庁館長=キル・ユンヒョン記者//ハンギョレ新聞社

 「日本人として、日本が(朝鮮に対して犯した)犯罪行為を立証しなければならないと思いました。そうしないと、“在日朝鮮人”社会を理解できないし、日本人の考えも変わりません。日本の犯罪行為は権力者によるものだから、庶民とは関係ないと思うかもしれませんが、決してそうではありません。警察が中心となった管理体制の枠組みの中に(平凡な)日本人たちも入って(朝鮮人に対する監視活動を)行ったのが、戦時中の日本のファシズム体制の主な問題です。自分と異なる人を認めようとしないのです」

 歴史問題はもう忘れて、韓日、韓米日3カ国の軍事協力を強化しようという「忌まわしい流れ」の中で、日本が犯した植民地支配の問題を追及することにはどのような意味があるだろうか。

 親日派(親日附逆者)研究の先駆者である故イム・ジョングク(1929~1989)先生の志を受け継ぐために作られた第17回イム・ジョングク賞特別賞を受賞した樋口雄一元高麗博物館館長(83)は10日、ソウル龍山区青坡洞(ヨンサング・チョンパドン)の植民地歴史博物館で行ったハンギョレとのインタビューで、「(日本社会は朝鮮を)植民地支配したという事実を完全に忘れているが、(朝鮮人たちを)創氏改名し、労働力として動員し、徴兵し、日本人にしようとした」とし、「植民地支配がもたらした朝鮮人たちに対する抑圧と加害行為を調査し、日本人がこれを認識することで、北朝鮮と韓国の人々との友好を実現できるよう努力しなければならない」と語った。

 「『植民地歴史博物館』と日本をつなぐ会」の共同代表でもある樋口さんは、日本の植民地支配が朝鮮人たちにどんな被害を及ぼしたのかを実証的に究明する研究を発表してきた代表的な「市民研究者」だ。大学で学位を取得して職業研究者になる代わり、神奈川県の県史編纂室・県立公文書課、東京新宿にある高麗博物館(館長、2007~2017)などで勤務し、『協和会-戦時下朝鮮人統制組織の研究』(1984)、『皇軍兵士にされた朝鮮人 一五年戦争の総動員体制の研究』(1991)、『戦時下朝鮮の民衆と徴兵』(2001)、『日本の植民地支配と朝鮮農民』(2010)、『金天海-在日朝鮮人社会運動家の生涯』(2014)など10冊以上の主な著作を残した。

 特に日本の特別高等警察が‘内地’の朝鮮人を管理するために作った協和会(中央協和会 1939年設立)を分析した1984年の著書(2023年増補版刊行)は「まだこれを超える研究書がないほどの協和会に対する総合研究書」(イム・ジョングク先生記念事業会)として評価されている。イム・ジョングク賞審査委員会は11日の授賞式で、樋口さんを特別賞の受賞者に選んだ理由として、「日本社会の右傾化という劣悪な環境の下でも、植民地朝鮮の民衆の歴史を明らかにするのに生涯を捧げ、韓日の歴史の清算と市民社会の連帯に貢献した功労」を挙げた。

 「私は1940年、旧満州の奉天(現瀋陽)で生まれました。父は昭和恐慌期(1928~1929)、仕事がなくて、満州の奉天に中学校の教員として赴任しました。ソ連軍が侵攻してきた時(1945年8月9日に参戦)、当時(満州を防衛していた)関東軍には人がいなくて、30~40代の男性たちまで徴兵されました。父も1945年7月に徴兵されました。後に証言してくれた人の話によると、当時、部隊には小銃もなく、爆薬があるだけで、それを持ってロシア軍の戦車に肉弾攻撃をするよう言われたそうです。当時の福島県出身の兵士(樋口さんの父親)が速く走れず死亡したという話を聞きました」

「植民地朝鮮民衆史研究」の功労認められ 
日帝が朝鮮人に与えた被害を中心に 
様々な実証的研究業績を出した市民研究者 
日本の警察が作った朝鮮人団体研究が代表作 
雑誌「在日朝鮮人史研究」を53号まで発刊 

「日本、コメを収奪するために朝鮮を植民地支配 
阿部総督の1945年の上申書を研究するつもり」

 樋口さんが朝鮮半島に関心を持つようになったのは、明治学院大学に在学していた時だった。卒業を控えて偶然手に取った『朝鮮民族解放闘争史』という北朝鮮の歴史書が決定的な契機となった。「その本を通じて、日本に朝鮮人が住んでおり、新しい歴史を作るのは民衆であることを知りました。それで社会人になると朝鮮について勉強したいと思うようになりました」

 大学を卒業した樋口さんは、朝鮮について知りたいと思い、当時朝日交流を進めていた共産党系列団体の日朝協会(1955年設立)を訪ねた。これを機に、朝鮮半島に関心のある日本人研究者やジャーナリストたちが作った日本朝鮮研究所(現・現代コリア研究所)で活動し始めた。さらに、彼の人生に大きな影響を与えることとなる琴秉洞(クム・ビョンドン、1927~2008)や朴慶植(パク・キョンシク、1922~1998)など在日歴史研究者たちに出会った。特に『朝鮮人強制連行の記録』(1965)という先駆的著作を残した朴慶植が死亡した後、彼が作った在日朝鮮人運動史研究会を引き継ぎ、今まで「在日朝鮮人史研究」という雑誌(今年10月に53号発行)を発行している。

 樋口さんが関心を持っているのは、日本の植民地支配が平凡な朝鮮人たちの人生をどう変えたかだ。「日本はなぜ朝鮮を植民地支配したのでしょう。コメを収奪するためでした。植民地支配を開始した後、朝鮮総督府は朝鮮に日本式の農法を導入します。朝鮮の農民に安価なコメを生産するようにして、日本の国内物価を安定させ、食糧危機を乗り越えるのが基本的な考えでした。強制動員の労働者たちに、(工場や炭鉱などで)暴力を行使して働かせたと言われていますが、もっとひどいのは(植民地支配末期)コメを供出した時でした。警察の立会いの下、供出督励員と面書記が家を一軒一軒を回りながら隠したコメがあるかを捜索し、暴力を振るいました。農民たちは孤立していたから、組織的抵抗ができませんでした。生産したコメをすべて供出された朝鮮の農民に残った食べ物は、満州で生産した豆から油を搾った後に出た油粕でした」

 80歳を過ぎたが、樋口さんの執筆への意欲はまだ衰えていないようだった。現在関心を寄せているテーマは朝鮮最後の総督である阿部信行(1875~1953)が1945年に昭和天皇に宛てた上申書だ。「日本内務省は1945年の1年間だけで朝鮮から100万人を労働動員すべきだと要求します。1年でなんと100万人ですよ。これを天皇に報告し、日本の朝鮮支配について説明しています。今度は阿部信行についての本を書こうと思います」

キル・ユンヒョン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/1116641.html韓国語原文入力:2023-11-17 02:37
訳H.J

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