文化大革命以後、中国が“竹のカーテン”を取りはらう時期に青少年になった馬雲は英語に魅了された。 彼が英語の練習のために12歳から9年間も毎朝早く起きて自転車で45分もかかる杭州ホテルに行き、通りがかりの外国人をつかまえて無料で観光案内した勝ち気な少年だったというエピソードは良く知られている。 彼は大学入試に二度落第し杭州師範大学に入り英語教育を専攻し、その後は杭州電子大学で英語を教える講師として仕事をした。 当時の彼の収入は月に12ドル程度に過ぎなかった。
馬雲が初めて創業に乗り出したのは1994年で、中国の文書を英語に翻訳したり通訳をする事務所を開いた。だがこれは失敗した。 しかし、これが彼が出張のためにアメリカを行き来してインターネットという新しい世界に初めて出会う契機になった。
今後はインターネットワールドが来ると直感した彼は、中国版インターネットのイエローページ(業種別電話帳)である「チャイナ ページ」を創業したが、これもまた失敗した。 中国最初のインターネット企業に挙げられるこの企業は、準備不足と中国内のインターネットのインフラ不足で失敗するほかはない運命だった。 昨年、米国スタンフォード大学で行った講演で、その時の自分の状況をこのように表現した。
「1995年頃、中国でインターネット事業を始めたがとても孤独だった。 誰も私を信じなかったし、私も自分が何を話しているのか分からなかった。そして私はコンピュータ技術についても何も知らなかった」
彼が持っていたのは、インターネットワールドが来るという確信だけだった。
そのあと、しばらく対外貿易部で仕事をしたが、ある日、万里の長城に一人の外国人を案内するよう指示された。 その外国人こそヤフーの創業者ジェリー・ヤンだった。 この出会いは、2004年にヤフーがアリババの株式の40%を引き受ける条件で10億ドルを投資する契機になった。
アメリカ企業公開史上で最大記録
中国オンライン ショッピングの80%を占有
アマゾン、イーベイを追い抜く
武侠小説マニアで別称も登場人物の名前
強力なショーマンシップにカリスマ性
独断決定で独裁者の非難も
“なせばなる”精神で熱狂と冷笑を同時に受ける
中国小包の70%がアリババ取引
馬雲の成功神話は1999年に彼が友人17人と共にアリババを創業して始まった。 彼のアパートで創業されたアリババは、初期にはただ一件の取引も成功させられず、創業と同時に危機に陥った。 だが、2000年にソフトバンクの創業者である孫正義から2000万ドルの投資を受けて危機を克服すると同時に、中国内外で話題を集めて事業を拡大できた。 アリババは企業対企業(B2B)オンライン ショッピングモールと言える。 中国の中小企業が作った製品を、全世界の企業が購入できるようにする所だ。 中国が“世界の工場”と呼ばれるだけに、成功は約束されたも同然だった。 2003年から利益を出しているが、米国最大のオンライン ショッピングモールであるアマゾンが分期当たり1億ドルを越える赤字を出していることとは対照的だ。
アリババは一般人を対象にしたオンライン ショッピングモール「淘宝網(Taobao.com)」、富裕層を狙ったオンライン デパート「天猫(tmall.com)」等、様々な会社を作った。 淘宝網が創立された当時、中国のオンライン市場を支配していたのはイーベイだった。 馬雲はグローバルメディアとのインタビューで何度もイーベイと「戦争をする」と話したが、当時の反応は嘲笑に近かった。 だが、現在を見よう。 イーベイは中国市場から撤収し、淘宝網は中国インターネット商取引市場を事実上独占している。 最近韓国で海外直取引の窓口として有名になったアリエクスプレスもアリババの子会社だ。
中国でのアリババグループの威勢はすさまじい。 多くの外信が整理した資料を見ると、アリババを通した取引は中国国内総生産(GDP)の2%に達し、中国国内小包の70%がアリババ関連会社を通じて取引された物品だ。 中国国内のオンライン取引の80%がアリババ系列会社を通じてなされている。 しかし、これはまだ始まりに過ぎない。 まだ中国の人口の半分はインターネットを使っておらず、オンライン取引をする人は6億人しか(?)いないが、まもなく世界最大のオンライン市場である米国を越えると予想されている。 会計法人KPMGの推定によれば、2020年には中国の電子商取引金額が米国・英国・日本・ドイツ・フランスの電子商取引金額の合計より大きくなる。 現在の占有率が続くと仮定すれば、アリババは超巨大企業という言葉さえ面目を失うほどの規模を持つことになると見られる。(続く)