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[ハンギョレ21 2011.08.15第873号] 国家暴力を産む‘非命令的命令’

[金東椿(キム・ドンチュン)の暴力の世紀vs正義の未来](5037字)
龍山惨事に民間人虐殺を招いた韓国戦争期の討伐作戦を見る③
軍警、最高権力者の暗黙的方針と路線を意識し強硬鎮圧に出る


2008年6月24日、李明博大統領は‘不法・暴力デモに対する厳正対応’方針を明らかにした。 以後、戦闘警察の鎮圧は乱暴になり、倒れた市民を軍靴で暴行さえした。その年の8・15祝辞で李明博大統領は‘法治’をとりわけ強調した。

ソウル 龍山惨事関連捜査で検察は警察特攻隊の鎮圧作戦とそれに対する抵抗過程での火災発生、撤去民死亡の間の因果関係は明らかにできないと結論を出した。検察は調査過程でキム・ソクキ ソウル地方警察庁長官に対しては二度の書面調査、警察官らに対しては単純陳述で終えた。 以後、李明博大統領は退いたキム・ソクキ庁長を日本、大阪の総領事に任命した。


紙くずになった警察官職務執行マニュアル

←大統領が帝王的権力を持つ国で、軍事作戦時の非命令的命令は命令以上の力を持っている。そのために組織文化上 一方的服従が重視され絶対忠誠が昇進を保障する軍・警察・検察など権力機関の長は実績を積む忠誠競争を行い大統領が実際に願うことを2倍、3倍にして実践しようとするケースも多い。2009年1月20日、ソウル、龍山区、南一堂ビルで警察が強制鎮圧に乗り出すや撤去民が激烈に抵抗している。 ハンギョレ キム・ミョンジン


陸軍参謀総長を務めたイ・ウンジュンの自叙伝には「(李承晩)大統領は済州共産軍討伐作戦がこうだああだという報告はやめ、共産軍がいなくなったという報告を聞きたがった」と回顧した。

韓国戦争期、慶南、居昌郡(コチャングン)、神院面(シノォンミョン)一帯で軍が民間人700人余りを虐殺した居昌事件当時、9連隊長として指揮責任があったオ・イクキョンは法廷で「早急に共産軍を完全に掃討するためのもの」と弁解した。当時、国防部長官シン・ソンモを処罰しろとの要求が沸騰したが、李承晩は「そうはできない」と激しく怒った。結局、シン・ソンモは解任以後に駐日代表部大使に任命され日本に行った。戒厳民事部長キム・ジョンウォンは世論が沸騰するや逮捕されて軍事裁判に回付されたが、まもなく特赦で出監し以後には再採用され治安局長にまで昇進した。


龍山鎮圧当日、最終決裁権者であったキム・ソクキ ソウル地方警察庁長官は事件当時は勤務中だったが無線機を切っていたと答え、自身は龍山惨事に責任がないと弁解した経緯がある。最終命令者が作戦中に無線機を切っていたということは常識的に納得できない弁解だが、それは置くとして、なぜ彼がまさに任命された時点で民間人5人と特攻隊員1人の命までを奪い取り、23人(警察官16人)が重症を負うほどの無理な作戦を最終的に承認したかは相変らず疑問として残っている。


韓国警察の警察官職務執行法にも「警察官の職権は職務遂行に必要な最小限度内で行使されるべきで、これを乱用してはならない」という比例原則と関連した規定があり、手段は目的を実現するために適合しなければならないという‘手段最小侵害の原則’と、手段による侵害が目的の利益を越えてはならないという‘手段相当性の原則’もある。 今の‘民主’警察は自身が作った集会・示威現場法執行マニュアルがあり、このマニュアルには火炎瓶など危険物質所持有無を把握し、作戦上の障害要素を事前に除去するよう明示しており(先火炎瓶減少、後検挙), 国家人権委員会と警察庁が共同で作った教材には暴力的集会を解散させる場合にも‘最小限の物理力’を使うべきということが明示されている。 ところが龍山惨事の時に投入された特攻隊員は「デモ現場に引火性物質があるという話も聞けなかったし、火災対応教育も受けておらず、化学物質に対する情報もなかった」と言う。もちろん鎮圧直前に職務執行マニュアルの教育を受けたという話は全くなかった。ただ特攻隊長の催促無電だけが彼らの鎮圧作戦を支配した。


今日の警察は討伐投入以前に兵士たちが守らなければならないマニュアルもなく、民間人の生命保護に対して簡単な教育さえ受けずに無条件に上部の命令に従わなければならなかった韓国戦争期の討伐軍、1945年以前の日本天皇の軍隊ではない。ところでなぜ‘民主’警察の職務執行のためのすべてのマニュアルは龍山鎮圧作戦で紙くずになったのか?


無関心・沈黙・不介入はもう一つの命令


軍と警察は上部の命令に一糸不乱に動く組織だ。従って軍と警察の作戦過程で発生する成否や付随的被害の大部分は現場指揮官の判断よりは上部命令権者の指示・命令と直接関連している。人名を殺傷できる武器を所持した警察と軍の作戦で指揮官の命令は非常に厳重であり、命令系統で地位が上がるほどその厳重さと責任感はより一層大きくなる。したがって軍・警察の最高指揮官の判断と命令は極度に慎重でなければならない。ところが軍警指揮官の判断と命令は自身の任命権者であり最高指揮官であり軍統帥権者である大統領の政策方針に従う。


←居昌民間人虐殺事件の時、李承晩政権の戒厳民事部長キム・ジョンウォン(写真左側)は世論が沸騰するや逮捕され軍事裁判に回付されたが、まもなく特赦で出監し、以後には再採用され治安局長にまで昇進した。李明博大統領は退いたキム・ソクキ庁長を日本、大阪の総領事に任命した。大統領のこのような人事・褒賞政策は官僚らにとって国民の人権や生命を無視しても彼により一層強い忠誠を示す行動をするよう誘導する効果がある。 ハンギョレ資料. ハンギョレ資料写真、ハンギョレ キム・ミョンジン


警察にとってデモ鎮圧は軍にとっての討伐作戦と同じだ。予測不能の戦闘状況で軍と警察の作戦は指揮者の明示的命令に従うが、この指揮官は最高権力者の暗黙的方針と路線を意識している。最高権力者は命令以外の方式で命令を下すことが一般的だ。これを‘非命令的命令’という。すなわち、大統領が直接指示しなくとも彼の普段の方針と発言、人事、褒賞・処罰を見て 下の人々は彼が何を望んでいるか、どのようにすれば称賛を受けるかを判断して行動するという意だ。もちろん最高命令者は言葉を通じた迂迴的強調だけでなく、無関心・沈黙・不介入を通じても影響を与える。すなわち大統領が労働者のストライキが中断させなければならないということを何度も強調し、鎮圧時に人命被害が無いようにしろとの要請を追加しないならばいかなる方法を使ってでも鎮圧しろという命令として受け入れるという話だ。大統領が迅速に鎮圧しろと直接言わなくとも、「法秩序を確立しなければならない」「法を犯す者は容認しない」と言えば、警察総帥は鎮圧作戦時に発生するかも知れない‘付随的被害’はいかなる場合にも自己の責任にはならないと判断し、むしろ強く鎮圧しない場合には問責されると知るようになる。


大統領が帝王的権力を持つ国では、軍事作戦時の非命令的命令は命令以上の力を持っている。それで組織文化上、一方的服従が重視され絶対忠誠が昇進を保障する軍・警察・検察など権力機関の長は実績を積む忠誠競争を行い大統領が実際に願うことを2倍、3倍にして実践しようとするケースも多い。


社会学者ピエール プルデューが話したように、人間の行為には常に時間変数が介入する。過去の相手方の反応に対する解釈が今の彼に対する自己の行動を左右する。ところで官僚組織で相手方が自分の運命を左右することもできる最も重要な他者、すなわち人事権者ならば彼が以前にどんな人を褒賞・処罰したかが自己の行動を左右するだろう。


ロウソクのあかりに‘不法非寛容’を明らかにしたMB


解放直後に各種テロ事件を起こしたキム・トゥハンはソウル、西大門刑務所に収監された。しかし李承晩は「キム・トゥハンは政府樹立に貢献が多大なので刑を特赦する」として釈放した。その後、李承晩政権下の軍・警察指揮部は罪のない人を殺しても反共路線さえ徹底していれば常に免罪符を受け昇進と出世も保障されるということを知った。李承晩が情報将校らに「誰それを調べてみろ」と言えば、それはすなわち側近らにより‘処置してしまえ’という言葉として受けとられたし、それは実際に李承晩の意でもあった。済州4・3事件当時の討伐でも、戦争直前の智異山(チリサン)一帯討伐作戦でも民間人を大量に殺し処罰された指揮官は殆どいなかったが、討伐をまともにできなかった指揮官は厳しい問責にあった。1951年、居昌事件の場合にも大隊長ハン・ドンソクは連隊長から討伐をきちんとしないことに対し強い叱責を受け、まもなく数百人の民間人を殺傷した。韓国戦争期、軍による虐殺が蔓延したのはこういう李承晩の非命令的命令の効果と見られる余地が大きい。


イ・ミョンバク大統領はろうそくデモに対して‘不法非寛容’原則を強調した。すなわち彼は‘市民の安全権保障’と‘社会秩序維持’のために不法に対する法的責任を必ず追及し不法事態終了後にも不法行為者は最後まで追跡・検挙し厳罰に処すると言った。市民を(不法)デモ参加者と対比させ、デモ参加者は無条件に鎮圧し厳しい処罰をするという確固たる意志を表明したわけだ。 ろうそくデモ初期に穏健に対処したという理由でハン・ジンヒ ソウル警察庁長官が電撃的に更迭された。しかし過剰鎮圧の件で退陣圧力を受けたオ・チョンス警察庁長官は市民社会と宗教界の退陣圧力にも関わらずやすやすと席を守った。大統領府の信任があつかった。それで彼は任期を無事に終え退陣した。2009年1月20日、龍山惨事直後 キム・スジョン ソウル警察庁次長は、すぐに大統領がろうそくデモ鎮圧当時に強調した‘無実の市民の生命を奪いかねない状況’を最も大きな鎮圧の名分として掲げた。大統領と警察総帥らが強調した‘法’‘秩序’とは、デモ隊や都市貧民に対する無慈悲な鎮圧を婉曲に表現したものであり、彼らにとって市民は事実上 政権を意味だった。龍山鎮圧の命令者らはその前年のろうそくデモ当時に大統領が示した非命令的命令に忠実だったということだ。


李承晩大統領が居昌事件責任者らを全員赦免・復権させたことは、彼が民間人虐殺を罪とは考えないという意だった。当時、事件を歪曲しようとしたキム・ジョンウォンの釈放にイ・ギブンが反対すると、李承晩はキム・ジョンウォンを忠武公 李舜臣に比喩し釈放させろという談話を直接発表しさえした。李明博大統領はどうだったか? 李明博大統領は牛肉交渉で屈辱的な妥協をしたと批判を受けた交渉代表ミン・ドンソクを外交通商部次官に再起用し、チョン・ウンチョン農林水産食品部長官をハンナラ党最高委員に座らせた。交渉に問題があっても大統領の意を挺して行動すれば国民の非難を受けても最後まで推すという強い信号を送った。大統領のこのような人事・褒賞政策は官僚らにとって国民の人権や生命を無視しても大統領に一層強い忠誠を示す行動をとるよう誘導する効果がある。


法の上にある大統領の言葉と意中


従って軍事作戦時に発生した事故に対する責任は、末端兵士や現場指揮官よりは上位の命令権者、そして彼を任命した人にまで遡ると見ることができる。韓国式大統領制の下で、大統領の言葉と意中は法の上にある。たとえ法と手続きを無視しても彼の意中に従いさえすれば民間人被害の容認はもちろん出世まで保証されうることになる。


上部の命令は厳重だが、人権保護は遠い国の話だ。鎮圧時に籠城者らがケガしないよう注意しろというような上部指示は一つもなかったが、法と秩序は必ず守られなければならず籠城者らのために市民の安全が脅威を受けているという人事権者の指摘は恐ろしい非命令的命令として迫る。韓国戦争期と同じように鎮圧部隊長には戦果の圧迫がすべての作戦過程を支配し、鎮圧過程で発生する不祥事には責任を負うべき必要が大きくなかった。この場合、あなたが指揮官ならばどのように行動するだろうか? 龍山惨事の責任を誰にどのように問うべきか?


聖公会大社会科学部教授

原文: http://h21.hani.co.kr/arti/COLUMN/152/30223.html 訳J.S