[金東椿(キム・ドンチュン)の暴力の世紀vs正義の未来](5075字)
産業化論理で朴正熙時代の人権侵害責任を避ける認識
現政府が国家暴力被害に沈黙する結果につながった
去る3月13日、釜山で開かれた地域民間放送招請討論会に参加した朴槿恵前セヌリ党非常対策委員長は朴正熙政権時期に苦痛を味わった民主化人士に先に近付くつもりがないかとの記者の質問に「産業化過程で不本意に被害をこうむった方々に常に申し訳ない心を持ってきた。 その方々に私がおわび申し上げる」と答えた。 それ以前にも朴槿恵はこの問題に何度か言及したことがあるが、 「私が心より謝罪申し上げるのは、民主化のために純粋に献身した方々だが、またある部類の勢力があって彼らは親北韓の仮面をかぶり国の転覆を願った人」とし「これは明らかに誤りではないか。これらが混同されれば心より民主化のために献身した人々に対する侮辱」と話すこともした。
法を云々して責任回避
ところで2007年1月23日‘人民革命党再建委’事件関連者に裁判所が最終的に無罪を宣告したにも拘らず彼女は沈黙で一貫した。 その後にも「人民革命党問題は不幸なことで亡くなった方々に対して残念だと考える」としつつも「裁判所で正反対の2種類の判決を下し、それなら何が真実なのか。 歴史的真実は一つしかない。 今後の歴史が明らかにすることを願う」と話した。 結局、朴正熙政権のスパイ捏造事実は認定できないという話であった。 すなわち朴槿恵は民主化関連人士の弾圧に対しては‘不本意に’被害を被ることになったので申し訳ないという意思表現をしたが、人民革命党事件に対しては過去の裁判所と現在の裁判所の判決が異なっているので‘歴史に任せよう’と話す。 現在の覆された判決は信頼し難く、人民革命党再建委関連者は単純な民主化運動家ではなく左翼関連者なので自身がいかなる謝罪の意見も表明する理由はないと考えている。
正修奨学会問題に対しても同様な態度を堅持した。 正修奨学会が贓物だというムン・ジェイン民主統合党常任顧問の反撃に対して 「これが‘贓物’であり法に外れたことならば、すでにかなり以前にケリがついているはずでしょう」として、法的に問題がないという態度を固持した。 2007年6月、真実和解委員会が「釜日奨学会献納事件は中央情報部によって強制的に行われたもので、正修奨学会は献納株式を国家に原状回復し国家は財産を元所有者に返還せよ」と勧告したが、彼女は 「盧(武鉉)政府が正修奨学会をどうにかするといったが事実ではないことが明らかになった」として真実和解委の結論を盧政府の意図だと規定した後、朴正熙政権が釜日奨学会を強制的に奪ったのではないと反論した。 ところでソウル中央地裁民事17部(部長判事 ヨム・ウォンソプ)は釜日奨学会の設立者である故キム・ジテ氏の遺族が正修奨学会と法務部長官を相手に出した返還請求訴訟で 「キム・ギテ氏が株式を寄付するのに先立ち中央情報部釜山支部長が拳銃を身に着けてきて怖がらせ、関税法違反などで軍検察が拘束起訴して寄付承諾書に捺印させた後に公訴を取り消した事実」等を挙げて「キム氏が国家の強圧によって5・16奨学会に株式贈与の意志表示をしたことが認められる」と明らかにした。 裁判所が返還請求の消滅時効が完成されたと判断したことは残念な部分だが、朴正熙政権が強制的に奪った点は明確に認めた。 それでも朴槿恵は自身はすでに理事長ではないから言うべきことはないと言う。
キム・ジョンイン前セヌリ党非常対策委員は野党圏が朴槿恵前委員長に維新体制に対する謝罪を要求することは、一種の連座制であり行き過ぎた政治的行為だと批判した。 果たしてそうか? 朴槿恵が自然人としての朴正熙の単純な生物学的娘であるだけであり、父親である朴正熙の政治的遺産から完全に自由な存在ならばこの言葉は正しい。 朴槿恵は陸英修(ユク・ヨンス)女史の死亡後ある程度ファーストレディとしての役割もした。 もちろん当時の政治的決定に介入できる程度の年齢帯ではなかったために維新体制のすべての政策に対して責任を負うべき位置にはいない。 しかし果たしてその時期の5年間の大統領府経験と朴正熙の娘という位置が有力大統領候補である彼女の今日を作る上で最も決定的な要因であったという点を誰が否認できるだろうか? 彼女がかつてインドのインディラ・ガンジー、パキスタンのベナジル ブット、ビルマ(ミャンマー)のアウンサン スーチー、フィリピンのコラソン アキノなどと同じように父親の後光を負って政治的に有名になった女性の隊列にあるということはあまりにも明白な事実だ。 相続は得て借金は負わないという言葉が成立できるだろうか?
←朴槿恵前セヌリ党非常対策委員長の抜け目なく閉ざした唇から過去に対する沈黙を読む人もいる。 朴前委員長が去る4月、ソウル、汝矣島(ヨイド)のセヌリ党党舎から会議を終えて出てきている。 ハンギョレ カン・チャングァン記者
米国の‘付随的被害’を連想させる
前記討論会で彼女は‘民主化’の代わりに‘産業化’と明確に表現した。 それは私たちは国家樹立と産業化の歴史だけがあり、民主化の歴史はないという1950年代式極右の考え方と同じだ。 すなわち維新時期は産業化時代であり、その時期の国家暴力被害者は産業化の被害者という話だ。 権力の執行は正当だったが、その過程で不意の被害を被ることになったということだが、産業化時代であることに固執する彼女の態度は米国が自国の空中爆撃や地上軍の作戦過程で第3世界の民間人が被害をこうむった事実を指し示す時に主に使う‘付随的被害’(collateral damage)の概念を連想させる。 それは典型的な加害者の概念だ。 軍事作戦は正当で合法的であったが、その過程で意図しなかった被害が発生したという話だ。
果たしてそうだろうか? 維新時期に数千人の学生と罪のない民間人が緊急措置と反共法の鎖にかかって苦難にあった。 そのうちの相当数は民主化運動に加担した学生ではなく無骨な労働者、農民、普通の市民だった。 2007年真実和解委員会は緊急措置違反容疑で起訴された589件の事件を全て調査したが、その内282件(48%)が飲酒対話や授業中に朴正熙・維新体制を批判したケースに該当し、最も多かった。 維新反対、緊急措置解除要求デモ、印刷物製作のような学生運動関連事件よりはるかに多かった。 ‘マッコリ保安法’と言われ酒を飲んで腹立ちまぎれに朴正熙が武力で執権したとののしって捕えられて監獄暮らしをし、そのことで家庭が破壊されて人生が壊れた人が一人や二人でない。 これらのすべてが政権によって‘不本意に’被害を被ったのではなく政権の意図と企画の被害者だった。
その傷は今も続く。 一部の人々は裁判所の再審決定で復権もし補償も受けたが、一度失ってしまった血縁は決してよみがえらず、一度壊れた人生は復元されえなかった。 憲法裁判所ですでに違憲判決が下された緊急措置が、彼女がそれほど強調する‘法’としての資格を備えていたし、緊急措置の施行が産業化と何の関連があるか? 人々は維新時期の国家暴力で人民革命党再建委、全国民主青年学生総連盟(民青学連)事件だけを主に取り上げ論じるが、実際には北韓に抑留されて思想教育を受けたという理由でスパイ捏造の犠牲になった拉北漁夫、北韓に一度行ってくればすべての前科をなくすという偽りの約束にだまされて非人間的な訓練と処遇に耐えなければならなかった北韓派遣工作員など、民主化はもちろん産業化とも全く関係なく朴正熙政権の犠牲になった数千~数万人の無念な民衆がいた。 朴槿恵をはじめとして朴正熙の遺産の甘い水を享受する人々、当時立法・司法・行政府の要職にあった人々はこれらの被害者にひざまずいて百拝謝罪をしても足りない状況だ。
日本にも過去の歴史責任を問えない?
このすべての事件の最終命令者であり指揮者であった人が朴正熙だ。 たとえ少数の人々であっても全く罪のない人々に血の涙を流させた野蛮な暴力体制の中心にあった人が公式謝罪や反省もなしに大統領になるという国は3流国家ではないか? 実際、父親の後光で政治的に成功した前記女性たちが活動した国はすべて韓国より少なくとも民主化では遅れている国々だ。
ところでこのすべての仕事が朴正熙がしたことであり、自身はその過程で何の決定権も行使しなかったので責任を負うことができないという言葉が果たして妥当だろうか? 正修奨学会と法的には何の関連もないから現理事長に退けという資格がないという言葉が説得力を持てるだろうか? 世間の評価によれば正修奨学会の実際の価値は数兆ウォンを上回る。 この金から出た付随的力と影響力は何であり、今日の朴槿恵は果たしてどの点で正修奨学会の力を自身の政治資産としているのか? 朴槿恵は理事長として在職した1995年から2005年までの10年間に2億5千万ウォン程の年俸を受け取ったという。 周囲の特別な支援も受けることができず困難な時期を体験しなければならなかった時に彼女を経済的に支え活動を可能にさせたのはまさに正修奨学会であり、知らされなかった彼女の数多くの私組織、現在彼女の最も重要な組織的基盤はまさに正修奨学会出身の4万人と果たして関係がないのか、問う必要がある。 すなわち朴槿恵の現在の政治的基盤の重要な部分を正修奨学会が提供したが、不幸にもそれは父親である朴正熙が事実上強奪して娘に残したものだった。 たとえ正修奨学会が社会的に還元されたとしても10年間を理事長として在職した彼女の経歴は残る。
日本の戦後世代は韓国や中国が過去の歴史反省を要求すれば、なぜ父・祖父世代のことで私たちが責任を負わなければならないかと尋ねる。 ところでこれに対して高橋哲哉 東京大教授は日本人として責任があると言い切る。 彼が強調する日本人とは血統としての日本人ではなく、政治共同体構成員としての日本人だ。 政治共同体の構成員であるすべての日本人、すなわち戦後世代全員が日本国家が国民にあたえる各種恩恵の受恵者だということだ。 そして主権者として日本の政治に参加しているので決定過程に責任を持つ主体だということだ。 ソ・ギョンシク東京経済大教授もこの点を強調して、もし日本の若者たちが過去世代の責任を負わないと言うなら、まず植民地支配で得た既得権を放棄して、旅券を破ってしまい、国民としての特権を放棄して、自発的に難民になる姿勢を示さなければならないと話す。 政治共同体の一介の構成員もこういう責任があるが、過去権力の核心にあった人の責任は何をかいわんや? 朴槿恵は大統領選挙に先立ち維新被害者に百拝謝罪して正修奨学会を社会に還元しなければならないが、そうしたとしても彼女は決して自身が得た途方もない相続の恩恵に見合って責任持分を完全に清算することは難しい。
朴槿恵の時計は依然として70年代
ところで彼女が迫り来る大統領選挙の有力な大統領選挙候補であるために、さらに重要なことは維新時代の国家暴力を見る彼女の観点、そして現政府で進行されている暴力に対する彼女の観点だ。 民主化人士に対する暴力は遺憾だが‘左翼’を処刑したことは正当だという考えは彼女の思考が1970年代維新時期の時間帯に留まっていることを語っている。 これはなぜ彼女が自身も総理室民間人査察対象になりながらも、その不法査察に沈黙で一貫していて、ソウル 龍山惨事など李政権下で行われた暴力に対して一切発言しないのかを説明する。 労働者・貧民の生存のための抗議を不法に追い立て弾圧することや、罪のない人をテロ犯・左翼・従北に追い立てて殺したり政治的に埋葬することは、依然として正当だと見ているためだろうか? そんなことを指示して自身の父親のように国家安保と秩序維持のために避けられないと話すつもりなのか? 自身が執権してもそのようにするということであろうか?
聖公会(ソンゴンフェ)大社会学部教授
原文: http://h21.hani.co.kr/arti/society/society_general/32435.html 訳J.S