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[‘イチゴ韓-日戦’] 章姫(アキヒメ)・レッドパール vs 梅香・雪香…イチゴ畑 10年戦争をご存知ですか

登録:2013-12-01 22:39 修正:2013-12-02 06:16
論山(ノンサン)イチゴ試験場で品種研究
一日1千ヶずつ食べて
味と鮮度に優れた‘梅香’
栽培までが容易になった‘雪香’開発
2002年に90%を占めていた日本品種
今年は我が国の品種が78%に達し
"次世代走者‘淑香’開発
加工・栽培施設 競争力も育てる"
11月27日、忠南(チュンナム)論山市(ノンサンシ)夫赤面(プジョンミョン)の忠南農業技術院論山イチゴ試験場でキム・テイル論山イチゴ試験場長(一番後)と研究員たちが2005年に開発した国産品種イチゴ‘雪香’を掲げて見せている。 論山/チョン・ジンシク記者

"日本品種が大勢だった時期のことから話しましょうか?"

白いイチゴの花のようなボタン雪が降りしきる11月27日、忠南(チュンナム)論山市(ノンサンシ)夫赤面(プジョンミョン)の忠南農業技術院論山イチゴ試験場で会ったキム・テイル(54)論山イチゴ試験場長は日本品種イチゴの話から切り出した。 彼は 「70年代統一稲を開発して空腹を解決したのが緑色革命ならば、その後に国産品種が全国的に広まったのはイチゴが最初だろう」と話した。 国内自生種がなく、外国品種が競争していたイチゴ市場でキム試験場長は‘品種国産化’を率いた先頭走者だ。

■‘イチゴ韓-日戦’勝者は誰? 90対1

 ワールドカップ4強神話を成し遂げた2002年、国内イチゴ農家栽培面積の90%を占めていた絶対強者は日本導入種だった。 国内育成種はかろうじて1%水準だった。 果物がたくさん実る章姫(アキヒメ)、病気に強くて果肉が丈夫なことが強みだったレッドパール、二つとも1990年代中盤に日本から持ってきた品種だ。 キム試験場長が同じ年の1月‘梅香’という国内育成種を開発・普及させたが、味が優れて鮮度を保てる反面、病虫害に弱く栽培が難しいために日本品種が席巻していた地図を塗り変えるには力不足だった。 その上、我が国が‘国際植物新品種保護同盟’(UPOV)に加入して品種使用料(ロイヤリティー)問題まで起きた。 「日本政府は章姫・レッドパール開発育種家のために弁護団まで支援して我が国政府を圧迫しました。 毎年30億~60億ウォンに及ぶ使用料が日本に払われるところでした。」 イチゴを巡る韓-日戦は日本の完勝で終わるかに見えた。

 2005年韓国サッカーのパク・チソン選手に肩を並べる‘雪香’品種が雪の花のように光りながら登場した。 キム試験場長が1995年にイチゴ品種育成に飛び込んで10年後のことだった。 章姫とレッドパールの交配で生まれた雪香は両方の長所を兼ね備えて、病虫害に強く果汁が多くてすっきりした味わいが天下一品だった。「‘土に苗木をさしておくだけでイチゴ農作業ができる’という話がある程に栽培が易しかったのです。」 栽培するのが難しく栽培技術により収穫量が千差万別になるイチゴ農業で、雪香の長所は際だって見えた。

 雪香は国内農家に普及した後、毎年日本導入種を10%以上押い出しながら栽培面積が急増した。 開発後3年経った2008年には、単一品種としては日本のレッドパールを抜いてイチゴ栽培面積基準で国内筆頭品種に上がり、今年は何と75.4%の占有率を見せている。

 農家のイチゴ生産量も雪香と共に同伴上昇した。 2002年に5726億ウォンだった国内イチゴ生産額は、今年は2倍以上に跳ね上がり1兆1188億ウォンに達する。 同じ期間に栽培面積が7816haから6435haに減少したことを見れば大きな成果だ。 「我が国の園芸作物の中で1年間の生産額が1兆ウォンを渡す作物は唐辛子を除けばイチゴしかないでしょう。」 イチゴ温室660㎡を基準として以前には温室一つで売上額1000万ウォンなら農作業をよくやったと言ったが、今では2000万ウォン分を生産してもよくやったという話が出てこないほどだ。 雪香より先に開発された梅香は果肉が丈夫なうえに雪香より味が優れている点を長所として、輸出の道を拡大し続けている。 香港・シンガポールで高級イチゴとして脚光を浴びる梅香は、国内輸出量の90%を占めており、毎年2000万ドル分ずつ輸出されている。

 事情がこうなると日本での警戒と疑いも強かったという。‘韓国にイチゴ品種を作る能力が備わっているか’として梅香品種の研究資料を要求し遺伝子検査まで行った。 「結局、自分たちの品種ではない事が判り、何も言えませんでしたよ。」 品種研究で助力を得ようと日本に出張に行った時は、栽培温室前で門前払いに遭ったりもした。 韓国の人々が来れば温室を閉じることになっているという話まで聞いた。 「私たちのような研究員が行けば日本側は温室の外側だけ見て行けと言われましたよ。」

日本導入種を圧倒して市場地図を覆した品種、イチゴ'雪香'が赤く熟している。 /論山イチゴ試験場提供

■ ‘ワントップ ストライカー’雪香を追い越せ

 国内イチゴ市場のミッド フィールドを思う存分に掻き回した雪香も開発初期には雪の中に埋もれ忘れられるところだった。 「論山3号(雪香の開発初期名)を摘んでみれば果肉がちょっと弱いのです。 果肉が丈夫でなければ流通過程で商品性が落ちてしまいます。」 論山と別の地域の農家に雪香の苗を与えて栽培を薦めたが、一様に 「弱くて使えない」という答が帰ってきた。

 絶望的だった。 そのような時にト・チュンヨプ当時論山イチゴ研究会長が論山3号を植えた後に水を少な目に与えて管理すれば大丈夫だと言った。 「自信ができて農家に‘このイチゴは水を多く与えたり栄養剤を多量に撒けば捨てることになる’と強力に話して通い始めました。」 正式に品種登録をするまでの2年間、このような試験栽培が続いた後に雪香がはじめて日の目を見ることになったのだ。

 大田(テジョン)が故郷であるキム試験場長は、論山イチゴ試験場が作られた1994年に農業研究家として公職社会に一歩を踏み出し、最初の発令地がまさに試験場だった。 試験場の開庁と共に偶然に品種育成に従事することになった。 当時国内でイチゴ品種育成に従事した担当者は、キム試験場長と国立園芸特作科学院釜山(プサン)試験場職員1名だけだったという。

日本導入種を圧倒して市場地図を覆した品種、イチゴ'雪香'が赤く熟している。 /論山イチゴ試験場提供

 忠南(チュンナム)大園芸学科大学院で芝学を専攻した彼は、イチゴの勉強をしながら苗をばらまいた。 試験場に来て2ヶ月後に大田から荷物をまとめて論山に完全に引っ越した。 試験場と10分の距離の家から彼は休日にも試験場を足繁く出入りした。 初めに1万株を植えた後、試験を経て1000株に減らすようなつらい育種作業が続いた。 栽培温室で良いことが目につけば一晩寝て‘今日はどのように変わっただろうか’確認するのが日課であった。 一日にイチゴ1000個を味わうのは普通のことであった。 期待したところに実がなったが、食べてみてまずくて失望した事も数え切れないほどあったという。

 "研究員の努力で良い品種を捜し出すとはいっても、育種は運が半分を占めます。 私の目につかなければ死蔵されてしまうんです。" 19年前に試験場の片隅330㎡で始まった品種育成の末に得た雪香は、今14万倍を越える4800万㎡で農民が栽培している。

 旬のイチゴが市場に出回り始めたこの頃、キム試験場長は不安だ。 梅香・雪香はすでに大韓民国優秀品種賞である国務総理賞と大統領賞に輝き、国内育種現場で最高の地位を占めた。 自身も大韓民国農業科学技術大賞(勤政褒章)をはじめとして多くの賞を得た。 だが、雪香の独走をひたすら笑って楽しんでばかりはいられない。

 「まだ国内外で雪香を凌駕する品種はないが、時間が過ぎればいくらでも出て来ます。 そうなれば一発で国内イチゴ市場が崩れかねません。 多様な経路で色々な品種を作り、競争力を備えなければなりません。」

 昨年、試験場では日本のレッドパールを狙って収穫期が遅く果肉が丈夫な淑香を開発した。 レッドパールより果実が10%多く実る程に優秀だ。 だが、彼はこれで満足しない。 現在1000㎡で数量3.8t、糖度10ブリックス、鮮度維持期間2日水準である品種を、2019年までに数量5t、糖度12ブリックス、鮮度維持期間6日に向上させるという計画を立てた。 また、今までは品種育成をはじめとして栽培技術に集中してきたが、栽培施設やエネルギー活用、イチゴ加工にまで幅を広げたい欲もある。 産業界と学界、研究機関を合わせた産学研研究体系を作るのも夢だ。 生果実だけでなく苗まで輸出することも先送りはできない。

 「試験場に3年だけいて、他へ行こうと思っていたが、結局行けなくて20年近くが過ぎましたね。」 今でも国内でひたすらイチゴだけを専門的に研究・テストする所は論山イチゴ試験場のみだ。

論山/チョン・ジンシク記者 seek16@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/area/613511.html 韓国語原文入力:2013/12/01 20:04
訳J.S(3817字)