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文字ない部族 ハングル習いわずか2日で自分の名前書く

原文入力:2011/10/07 21:29(2160字)
クォン・ウンジュン記者

←ハングルを表記文字として導入したインドネシア・スラウェシ州バウバウ市チアチア村の授業風景。チョン・ドギョン氏は韓国人教師第1号として派遣され、1年間ハングルを教えた。子供たちの名前から町内看板に道路表示板(下)まで、ハングルに簡単に会える。チョン・ドギョン氏提供

「ハングルは強かった」。文字がなく消失の危機に瀕したチアチア語を守るためにハングルを導入したインドネシア・スラウェシ州バウバウ市に、初めてのハングル教師として行ってきたチョン・ドギョン(50)氏は、このように話す。現地の子供たちに子音と母音を教え2日もすれば、すべての子供たちが自分の名前を書けるようになるのを見ながら、湧いてきた考えだった。チョン氏は「鳥肌が立つほど驚いた」として「文字がない人々をかわいそうに思いハングルを作ったという世宗大王の言葉が、自ずと浮んできた」と話す。

インドネシアのブトゥン島にあるバウバウ市は、人口20万人中で最大部族のチアチア族(8万人)の言葉を表記するために、ローマ字とアラブ文字を導入してみた。しかし、その度ごとに失敗した。チアチア語には激音や摩擦音が多く、これを正しく表現しにくいためだ。そのためバウバウ市は、音声表記が容易なハングルに注目して、2008年に訓民正音学会と、ハングル使用およびハングル教師養成に関する了解覚書を締結して、ハングルを導入した。おりしも吹いた韓流熱風も一役買った。翌年の2009年、訓民正音学会はバウバウ市に派遣する初のハングル教師を選抜した。27倍の競争に勝ち抜いて最終選抜された人が、チョン・ドギョン氏であった。

チョン氏は2010年1月、バウバウ市に派遣され、小学校1ヶ所、高等学校4ヶ所で1年間、学生たちに教えて帰国した。そして、チアチア語もインドネシア語も分からない彼が、見知らぬ土地のバウバウ市でチアチアの学生たちにハングルを教えながら体験した経験を「チアチア村のハングル学校」という本で出版した。

この本の魅力の中の一つは、生き生きした写真だ。著者は記者や写真家でなく、貿易学を専攻して製薬会社に20年間通った平凡な会社員だった。しかし、彼はインドネシアの現地の教室に入ってから、チアチアの子供たちの目つきから、彼がしばらく泊まった現地最高級ホテルのみすぼらしい台所の様子まで、こまごました日常を写真に撮った。読者たちになにより迫ってくるのは、やはり純粋なチアチアの子供たちの姿だ。写真を見れば、子供だけでなく大人たちも、愉快に笑っている。 このように多情多感なチアチアの人々のおかげで、彼は現地に簡単に適応することができた。

赤道が通過するブトゥン島は、夜も寝れないほど暑いが、冷房装置は殆どない。その上、流行病も頻発しており、著者もチフスにかかって入院することもあった。行政も立ち遅れていて、ビザを2ヶ月ごとに更新しなければならない。首都のジャカルタまで行って更新するのに3日かかる。こういう悪条件を勝ち抜くことができたのは、彼を「サパンカン」(現地語で私の友人という意味)として接してくれた、学生たちと同僚たちのおかげだったと、著者は回想する。

チョン氏は実際に学生を教えながら、チアチア語をハングルで表記するのに困難はなかったと話す。ただし、チアチアの人々が、これまでローマ字「W」で表記した発音を、現在用いられている24字のハングル子母音体系で書くのは不可能だった。訓民正音学会は、このため、我が国では中世に消滅した「唇軽音」を復活させた。それで、チアチア族が暮らしているバウバウ市ソラオリオ地区には、ハングル教材だけでなく、路上でも唇軽音を難なく見ることができる。著者は同僚の現地人教師とともに中級編教科書を作り、ハングルを教えた。また、チアチア族の老人たちだけが知っている伝統・説話を収録して整理する作業も行った。

←チアチア村のハングル学校 チョン・ドギョン著作/西海文集 1万2000ウォン

言葉が通じない学生たちにハングルを教えようと、著者が努力する場面では、自ずと笑いがこみ上げてくる。子供たちにハングルの名札だけでなく、好きな韓流スターの名札を作るなど、あらゆる方法を試す。「本当によくできました」の判子とステッカーを与えたところ、やってこなかった宿題をしてくる無邪気な子供たちの姿に、著者はうれしくて小躍りするようになったと話す。人前に出ることを敬遠していた内省的な彼が、子供たちの前で気兼ねなく歌を歌ってダンスする自身を発見して、文字を教えに行って、文字で表現できない教えを習ったと話す。

しかし残念なことに、著者は今、チアチア村に帰れずにいる。様々な行政的問題で招請が延びなかったためだ。チョン氏はハンギョレとの電話インタビューで、「戦争なしで1つの国の文字が、他国の文字として用いられるのは、歴史的にも初めての出来事なのに、それにふさわしい関心と支援が不足している」と惜しんだ。

クォン・ウンジュン記者 details@hani.co.kr
原文:https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/499839.html 訳 M.S