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[映画 モービーディック] ユン・ソギャン事件を描いた映画、ユン・ソギャンが観ない理由は…

原文入力:2011/06/14 18:09(3162字)
キム・ドヒョン記者

‘モービーディック’保安司 民間要人査察 暴露を描き
21年前の行跡を今も気にかけているようで観覧敬遠

←<モービーディック>

彼は映画を観るつもりはないと言った。世の中を騒然とさせた事件の主人公は自身をモチーフとした映画の封切りの便りに思いがけない反応を示した。13日<ハンギョレ>と行った電話通話で 彼は「自分が出てくるというので、どのように描かれるのか気になりはするが、観るのはちょっと…」と話した。
彼は21年前の事件から依然として自由にはなれないようだった。1990年9月23日、保安司要員として勤務中に金大中、金泳三、盧武鉉など民間人主要人物130人余りの査察カードとフロッピーディスクなど関連記録を持ち脱営した後、その年の10月4日に韓国キリスト教教会協議会人権委事務室で良心宣言を行い世の中を沸きかえらせた‘保安司民間人査察事件’の主人公ユン・ソギャン(45)当時2等兵。

事件以後、盧泰愚政府は国防長官と保安司令官を更迭し、保安司令部を機務司令部に改名するなど、彼の良心宣言はこの上なく大きな政治的・社会的波紋を起こした。

ユン氏が観覧を敬遠した映画は‘ユン・スギャン二等兵事件’をモチーフに‘政府の上の政府’によるテロ捏造など各種陰謀活動を描いたパク・インジェ監督のデビュー作<モービーディック>だ。

世の中を揺るがした‘保安司査察’暴露

パク・インジェ監督は保安司が情報収集のためにソウル大前で偽装営業していたカフェの名前‘モービーディック’から映画のタイトルを取ってきた程に、ユン二等兵事件を劇の主要あらすじとしている。ユン二等兵が脱営後、故郷先輩だからと訪ねて行った明人日報社会部記者イ・バンウ(ファン・ジョンミン 役)も実際の状況に基づいている。ユン二等兵は脱営後、査察資料を持ち当時<ハンギョレ>を訪ね<ハンギョレ>はこれを大々的に報道した。

ユン氏は「2003年にパク監督が当時の事件を素材に映画化したいと訪ねてきて、初めは当時の事件を再確認するということを快く思わなかったり、はたまた問題がないようにも思ったりで、私の気持ちは半々だったが結局は製作に同意した」と話した。

ただしユン氏はパク監督に 「良心の勝利という視角だけでは描かないよう注文した」と語った。「私が西氷庫(保安司)にいる時、一緒に活動(学生運動)した先輩たちが大勢捕まったので(私の良心宣言を)英雄的に描いて欲しくはない」と言ったということだ。映画は少なくともこの部分に関してはユン氏の意見が相当程度反映されているようだ。ユン氏が映画を観にいかないと考える理由について彼は詳しく明らかにしなかったが、彼は保安司を脱営する前まで保安司の緑化事業(運動圏学生の強制入隊)強要に勝てず、一種の偽装活動家活動をした行跡について今も気にかけているようだった。映画では彼の運動圏先輩が一団の勢力により拉致されある種の陰謀事件に動員されたとして描かれている。

←ユン・ソギャン氏

‘査察資料’持ち‘ハンギョレ’に

ユン氏の大学先輩の<ハンギョレ>記者は「当時周辺では彼の良心宣言で全てが洗われたと考えたが、彼は今でも精神的借金と考えているようだ」と話した。良心宣言以後、軍務離脱罪で2年の刑を宣告され1994年に満期出所したユン氏は、今は平凡な職場生活をしている。

ユン氏はパク監督と映画の話を交わした時、自身が書いた文を映画製作に参考になるとして見せたという。

“1990年から2003年までに私が書いた文だが、そこには私の実存的苦悩が多く含まれていました。学生運動をした人間として、ソ連が滅びた後に悩みと彷徨を繰り返したがそれを文として書いたものでしょう。私には良心宣言をしたことが重要なことではないので、映画を作るならば人間の不条理な面を描いて欲しいといいました。私は犠牲の羊でも、内部告発者でもないと言いました。人間は弱いが、弱くない面もあって、私の場合は短い時間内に同時に強く現れたということでしょう。”

←1990年10月4日、ユン・ソギャン当時二等兵が査察資料を公開した後、保安司の不法対民間査察を糾弾する集会とデモが起きた。同年10月12日、漢陽大生8百人余りが激烈なデモを行っている。

映画は投資家を求める過程で、ユン二等兵事件に陰謀説を混ぜ合わせられたためか、ユン氏が望んだ人間の不条理な面が強烈に描かれてはいない。

時代背景も実際より4年後の1994年に設定されている。パク監督は<シネ21>とのインタビューで、1994年に設定した背景について その年が持つ意味をキャラクター化したと説明した。

“振り返ってみれば1994年は本当に多事多難だった。何十年ぶりかの暑さであり、金日成が死亡し聖水大橋が崩壊したのも1994年だ。1994年が数字として背景であるに過ぎないが、一つのキャラクターだと考えた。同時にパソコン通信やインターネットに対する関心が増幅され、アナログからデジタルへ移った変化の時代でもあったようで、映画の中でイ・バンウは原稿用紙で記事を作成するが、それもコンピュータへ変わっていった時期であった。”

映画の中の記者、現実感は欠ける

映画は1994年11月20日、ソウル近郊のパルアム橋で疑わしい爆発事故が起きるところから始まる。聖水大橋を連想させる事故だが、これは‘政府の上の政府’という大韓民国を動かす陰謀勢力が政局を意のままに牛耳るために北韓のテロ事件として捏造した事件だ。事件を追跡した社会部記者イ・バンウに同郷の後輩ユン・ヒョク(チン・グ)が訪ねてくる。査察記録が記録されたフロッピーディスクと各種資料を持って。ユン・ヒョクの実際の人物がユン・ソギャン氏だ。

この映画は巨大な陰謀を暴く日刊紙社会部記者の活躍を正面から描いたという点で現役記者たちにも関心をもたれる映画だ。記者が見るには、記者を描いた映画としてはリアリティーをよく生かした映画ではあるものの、それでも実際に近接することには成功したと思えない。半ばの成功とでも言おうか。

ポケベル、フロッピーディスク、原稿用紙、新聞社の雑然とした雰囲気などは1990年代初めに事件記者をしていた記者にも懐かしさを感じさせるほどによく描いたようだ。イ・バンウ記者に扮したファン・ジョンミンの社会部警察記者演技もなかなかのものだ。ファン・ジョンミン氏が演技のために多くの記者に会ったというが確かに努力の跡が伺える。

しかし記者の外見を描くことはある程度成功したように見られるが、報道機関のシステムと生理を描写することには失敗したように見える。イ・バンウ記者が査察と関連した多くの事実を確保しても記事を書かずに、とんでもないテロ予告記事を書いたことも納得しがたい。社会部長は「ファクトで勝負しろ」と注文するが、この記者は暗号を解読しフロッピーディスクに収録された査察記録を確保しておきながら記事を書こうとしない。

当時<ハンギョレ>がユン氏の良心宣言に先立ち査察記録と現場取材を土台に連日 数多くの暴露記事を量産し事件の実体的真実に接近しようと努力したこととも違う。陰謀説に振り回され、一つの時代の真実探しが巻きこまれてしまった感は否めない。

キム・ドヒョン先任記者/ツイッター@aip209

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/482677.html 訳J.S