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"獄中手記‘安応七歴史’は総督府官吏の必読書だった"

原文入力:2011-05-12午後09:10:21(4161字)
1969年 初発掘した日本語筆写本‘任那日本府説’の末松がくれた
元所有者は初代総督の秘書…平和思想家‘人間 安重根’実体明確に知らせるべき
漢文親筆原本と遺骸発掘一生の仕事であり未完の課題

キム・ギョンエ記者

←<殉国5分前 安重根義士韓服着た姿が真実> 旅順刑務所で1910年3月26日午前10時、絞首刑が執行された安重根義士の殉国5分前の姿。チェ・ソミョン院長が安義士裁判当時、通訳官だった園木末喜の子孫から入手し1976年2月に公開した写真で、唯一‘死刑5分前’とのメモが記されている。‘母親(趙マリア)が鎭南浦から持ってきて前日遅くに差し入れた白い絹のトゥルマギ(韓国式外套)と黒のパジ(ズボン)に黒のコムシン(靴)姿だった’という、当時の刑務所記録と一致する(左側)。韓国国内のある出版社で2000年に出版した<安重根義士自叙伝>に載っている‘安義士殉国5分前’の写真(右側)。中国服に足首まで届く長靴を履いた姿を描いているが‘韓服に着替えた’という説明と共に今も修正されていない。チェ院長は「当時、旅順地域の日本新聞が殉国翌日に報道したもので、現場取材が禁止されたために刑務所関係者たちの伝言を土台に描いて作った写真」とし、安義士に対する誤った情報と記録が相変らず多いと指摘する。

チェ・ソミョンの安重根を探して(1)
"録音準備できたか?" チェ・ソミョン院長は瞬間姿勢を正して特有の決然とした声で証言を始めた。先月30日、ソウル、光化門の自宅 兼研究室で行われた口述インタビューの席だった。「1969年<安応七歴史>を初めて私に渡した人は末松保和 当時日本学習院大学教授であった。しかし当時はもちろん、以後40年近くこの事実を明らかにしなかった。彼がまさに日本の韓半島支配を正当化する理論を提供したいわゆる‘任那日本府説’を主に主張したいわば殖民史学の元祖であったため、ことによって安重根義士に傷になるかを心配したからだ。」 チェ院長は今日‘安重根研究’の原典となった自筆獄中手記<安応七歴史>の発掘秘話とその歴史的意味について3時間にわたり打ち明けた。彼が昨年10月から始まった10余回の口述で安義士の獄中手記を最初に入手し殉国半世紀ぶりに韓国と日本両国で同時公開することになった秘話を具体的に明らかにしたことも、直接録音を要請したことも初めてだった。

-末松教授はどうして‘安応七歴史’を持っていたのでしょうか?

 "1969年冬のある日、東京神田の古書店街、神保町のある書店(今はない)からいつものように常連客だけに送る‘図書目録’が来た。そこに‘安応七歴史’という題名を発見した。すぐに書店に連絡してみると誰かが既に買って行ったと言う。名のある日本の古書店では購買者の身上に対して絶対に秘密を守る伝統がある。それでも直ぐに書店に走って行き、主人(逝去)に頼み込んだわけだ。‘安応七は韓国の人々が最も尊敬する義人であり英雄であり、ソウル、南山に記念館も建っているが、まだ彼の一代記がきちんと知らされておらず伝記すら一冊もない’という事情を説明し、名前だけでも教えて欲しいと訴えた。その名前が末松教授だった。"

-学習院大学と言えば明治時代に王室の貴族学校として出発した日本右翼思想の本山であり、維新時期に朴正熙大統領がそれをまねて精神文化研究院を作ったことで有名だが、末松教授とはそれ以前から何か縁があったんですか?

 "彼が日帝末期まで京城帝大教授であり、私は亜細亜大学で教授として仕事をした時期なので、名前はよく知っていたが、全く顔見知りではなかった。それでもむやみに研究室に訪ねて行くしかなかった。‘安義士伝記は日本人には知識として必要なだけだが、新しい国を建設しようとしている韓国の若者たちには歴史教科書として必ず必要な本なので譲って欲しい’で話したよ。すると末松は意外にも歓迎してくれ、こう言ったよ。「安応七が安重根という事実を知る人に会っただけでもうれしい。私は、韓国人たちにとては大いによくない人物かもしれないが、韓国の発展のために喜んで譲る。」その時期、私も若い盛りじゃない? 私の迫力が気に入ったとも言ったね。ハッハ。"

-末松も安重根研究に関心を持っていたということですか?

“後日、答礼挨拶に一度行ったところ、こう話したよ。京城帝大の時から懇意にしているファン・スヨン(去る2月逝去)当時 東国大教授であり博物館長から要請を受けたと。ファン教授がちょうど安重根崇慕会で理事を引き受けていて‘安重根に関する資料を何でも手に入れて欲しい’と手紙を送り、‘安応七’の名前を記憶したということだ。”

-それでは、その古書店に‘安応七歴史’を渡した元所有者がいたと思いますが…。
“末松教授から本を受け取るやいなや、また古書店に走って行き、主人にまた頼み込んだらね。やはり‘秘密原則’を前面に出して困っていると‘目的が神聖だから話してやろう。ただ、私が言ったという事実は秘密にしてくれ’として口を開いたよ。元の所有者は1910年の強制併呑を主導した寺内初代朝鮮総督の秘書課長と庶務部長を務めた守屋栄夫で、解放以後に衆議院議員などを経て東京で弁護士として仕事をしていた。彼はやはり‘自身の身分は絶対秘密にしてくれ’という条件で‘安応七歴史’を持つことになった経緯を説明したよ。安義士が旅順監獄で殉国した後、日帝は日本語に翻訳された手記の筆写本を謄写版で印刷し、総督府高級官僚らに配ったのだ。‘朝鮮統治のために安重根が伊藤博文を狙撃した理由と背景を理解する必要がある’というのがその理由だと言った。”

-‘安応七歴史’を手に入れた後、韓国と日本で公開した過程はどうだったんですか?

“一番最初に当時 安重根崇慕会理事長の鷺山(ノサン)李殷相(イ・ウンサン)に送った。‘安義士の思想を正確に把握して欲しい’という要請と共に。もちろん反響は熱かった。口伝えだけで飛び交っていた‘獄中手記’が60年ぶりに実際に確認されたわけだから。 鷺山がそれをハングルに翻訳し、当時<韓国日報>に長期連載したよ。そしたらね、まず安義士の故郷である黄海道、海州(ヘジュ)出身の失郷民が次から次へと現れて新しい証言をし始めた。鷺山は1978年に日本、長崎で‘安応七歴史’の漢文筆写本が発見されると両手記を対照参照し、翌年9月2日に安義士生誕100周年を記念し<安重根義士自叙伝>を出した。個人的には今までに出た色々な安義士自叙伝の中で最も信頼できる内容だと考えて。日本では外務省が出す官報<外交時報>に私が直接寄稿形式で全文を発表した。学術雑誌や報道機関ではなく官報を選んだのは、安義士に対する認識を日本人に正確に知らせようとするには日本政府の権威と信頼を活用する必要があると判断したためだ。すると予想通り、マスコミが大きな関心を示し、インタビュー要請が相次いだよ。これを契機に‘チェ・ソミョン’という名前も日本社会に広く知られ、おかげで写真と遺墨をはじめとする安義士関連史料と証言を継続的に発掘できた。今も日本で‘偽造の遺墨や遺物’がひっきりなしに出回ているが、その度に私のところに持ってきて鑑別してくれと言うので。”

-個人的にもその時から‘安重根研究’を始めたわけでしょうか?

“顧みれば、‘安応七歴史’が私の人生を変えたといってもいいでしょう。それから‘安重根研究’が私の一生の仕事になったし、安義士が当初書いた純漢文親筆手記原本と遺骸発掘はまだ解決しなければならない宿題として残っていますね。何よりも‘安応七歴史’を通じて‘人間 安重根’の真の姿が明確に知らされ、安義士が国の元帥を殺した一人のテロリストではなく、東アジアはもちろん全世界の未来を構想した政治哲学者であり平和思想家として再び生まれ変わり新しい評価を受けることができた。安義士は知れば知る程 大きな人で。”

口述整理/キム・ギョンエ記者 ccandori@hani.co.kr

■チェ・ソミョン院長は誰?

イ・スンマン弾圧被害 日本亡命
半世紀 安重根義士 研究

ソウル、光化門の自宅書斎に立った崔書勉(チェ・ソミョン:83)国際韓国研究院長。タンホ僧侶が付けてくれた号を付けた‘方寸(パンチョン)文庫’には去る半世紀間に集めた‘安重根史料ファイル’が几帳面に整理されている。

彼の研究室を初めて訪ねて行ったのは昨年初秋だった。‘韓-日現代史の水面下の人物’さらに‘怪物’とまで呼ばれる彼の回顧録連載の可能性を探索する目的だった。‘解放空間で白凡陣営の青年委員長を務め、韓民党政治部長チャン・ドクス暗殺事件で無期懲役刑、韓国戦争以後 ノ・キナム大主教を補佐し57年に李承晩政府の弾圧を避け日本へ亡命、69年東京・88年ソウルに国際韓国研究院を建て、以来20万件余りの韓-日近現代史史料収集と発掘。’一言で言えば特異な彼の履歴は今まで多くの部分が空白として残っている。もちろん予想通り体よく断られた。「須らく回顧録というのは懺悔録になるが、恥ずかしいことがあまりに多く私の生前には明らかにはできない。」

ところが彼はその場で思いがけない提案をした。「私が本当にしたい話は‘安重根伝記’だ。」彼はあえて<ハンギョレ>に紹介する理由も率直に明かした。「この国を導いていく世代は若者たちだ。彼らが歴史を正しく知らなければならない。まさに<ハンギョレ>読者たちだ。」
‘チェ・ソミョンの安重根を探して’は毎週火曜日に連載する。 文キム・ギョンエ記者 写真 キム・ミョンジン記者 littleprince@hani.co.kr

助言/安重根研究会
チャン・キュシク(中央大)チャン・ソクフン(国民大)チェ・キヨン(西江大)ハン・シジュン(檀国大)ハン・チョルホ(東国大)教授

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/477742.html 訳J.S