「10連覇を新しい挑戦と考えよう」
2024年パリ五輪に向けて韓国アーチェリー女子団体戦代表チームが越えなければならない最も大きな山は、40年の輝ける歴史が与える重圧だった。1988年ソウル五輪から一度も金メダルを逃したことのない華々しい時間が、チョン・フニョン(30)、イム・シヒョン(21)、ナム・スヒョン(19)に重くのしかかった。死守しなければならない五輪だったが、決勝戦の相手は中国。中国代表は、すでに今年だけで2回もワールドカップで韓国を制し、金メダルを獲得した「永遠のライバル」だった。
エースのイム・シヒョンと最年少のナム・スヒョンは10連覇を「必ず成し遂げなければならないこと」ではなく「新しい挑戦であり目標」と考えた。決勝戦を勝利で終えたイム・シヒョンは、共同取材区域で取材陣に対し「大韓民国にとって(10連覇は)王座を守ることだが、40年が経ってメンバーが変わった今、私たちには新しい挑戦であり、目標だった」と語った。チームの最後の射手だったイム・シヒョンは、準々決勝と準決勝で危機の度に9~10点を決め、頼もしい砦の役割を果たした。準々決勝では一発も8点以下を許さず、すべての矢を9~10点に入れた。
2番目の射手のナム・スヒョンもやはり負担があったが「挑戦」に重点を置くことにした。ナム・スヒョンは取材陣に「10連覇を目標に練習するのは負担があった。それでこの話を(チームメンバーと)しながら『10連覇を挑戦だと考えよう』という言葉(をやり取りしたの)が一番記憶に残っている」と語った。女子代表は全員が五輪初出場だったため、国際大会の経験がないという懸念があったが、二人は自分なりのおなじないで10連覇が与える重圧を乗り越えた。
代表チームは準決勝でオランダと対戦し、シュートオフの末、5‐4で決勝に進出。団体戦では与えられた4セットが引き分けになった場合、選手1人につき1射を放ち、チームの合計点数の高い方が勝つシュートオフで勝負を決める。ここでナム・スヒョンは10点を命中させ、オランダ代表の勢いをくじいた。セット点数4-4で拮抗していた勝負が、ナム・スヒョンの10点で韓国に傾き始め、韓国はチーム合計点数で26-23でリードし決勝に進出となった。
最年長のチョン・フニョンが感じた負担の重さは後輩たちとは少し違った。チョン・フニョンは「(金メダルが)確定した瞬間、真っ先に涙が出た」とし、「10連覇というのがあまりにも重かったし、初のメジャー大会出場なので『私にうまくできるだろうか』という思いもあった」と打ち明けた。さらに「本当に負担だったが、10連覇(達成)の妨げにならないよう、さらに準備して練習を重ねた。これまで本当につらかった」と震える声で語った。
チョン・フニョンは、準々決勝から代表チームの1番手の射手だった。アーチェリー選手団は、3人のうち一番速く射るチョン・フニョンがベテランとして試合の軸となると判断した。だが、チョン・フニョンは準々決勝で計8射のうち4射が8点、1射は7点となり、不安が残るスタートを切った。当時の状況を尋ねられると「サイト(照準器)がよく合わなかった。それでずっと合わせる作業をした」とし、「合わせてからは『いままで通りにやろう』と思い、いつもと同じ気持ちで(試合に)挑んだ」と説明した。
準々決勝で伸び悩んでいたチョン・フニョンは、その後準決勝と決勝で10点を続けて射貫き、後輩たちをリードした。特に、中国とシュートオフまで続いた緊張高まる接戦で、チョン・フニョンは先頭で後輩たちを率いた。一番先に10点を射て、後輩たちが肩の荷を下ろして挑むことができるよう、最年長の役割をきちんと果たした。決勝で放った9射のうち6射が10点だった。
10連覇という大業を控えて3人が抱いた負担の重さは違った。しかし、この日互いの支えとなり、ついに再び韓国アーチェリーをトップに座につかせた。決勝のシュートオフで、当初は両チームの合計点数は27点で同点だった。しかし判定の結果、チョン・フニョンとイム・シヒョンの射た9点が10点と判定を受け、金メダルが確定した。
これから3人は個人戦で再び金の矢を放つ準備に取り組む。チョン・フニョンとナム・スヒョンは五輪2冠王を、イム・シヒョンは混合団体まで加えて3冠王に挑戦する。