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新羅の星の王子さまの「光る金鈴」に宿る悲しみ、100年間分からなかった

登録:2022-12-13 08:43 修正:2022-12-14 02:54
国立慶州博物館「金鈴塚」特別展
日本の学者たちが「金鈴塚」と命名した根拠になった1組の金鈴。1924年5月の古墳発掘時、墓の埋葬者の腰のあたりで発見された。当時調査団は「その優雅さに、愛さずにはいられない技巧」だと称賛する記録を残した=ノ・ヒョンソク記者//ハンギョレ新聞社

 「心で見なければものごとはよく見えないってこと。大切なことは目に見えないんだよ」

 目の前に星のように光りぶら下がっている1500年前の新羅の王子の黄金鈴2個が、小説『星の王子さま』(原題の直訳は『小さな王子さま』)の有名な言葉を思い出させてくれる。砂漠のキツネが故郷の星に戻ろうとする友人の“小さな王子さま”に話した助言だ。これは、第2次世界大戦当時、フランス空軍のパイロットとして地中海に飛び亡くなったアントワーヌ・ド・サンテグジュペリ(1900~1944)の遺言でもあった。『星の王子さま』を通じて、作家は、飛行で得た人生の悟りを、砂漠のキツネの口を通じて世に広めた。

 現在、慶尚北道の慶州市仁旺洞(キョンジュシ・インワンドン)にある国立慶州博物館で開かれている特別展「金鈴、幼い魂の旅の仲間」は、新羅の“小さな王子さま”の悲劇的な死が生んだ金鈴塚(クムリョンチョン)という古墳に埋められた王室の悲しみが、21世紀に初めて実体が明らかにされたということで話題を呼んでいる。金鈴塚は1924年、日本の学者たちによって発掘された騎馬人物形の注子と金冠、ガラスの器などで有名になったが、本来の墓の実体は不明だった。今回の展示は、新羅の幼い王族の墓の金鈴塚を主人公に、金鈴という名称自体が幼い王子の埋葬場所で腰の周りから発見された15個の精巧な宝石がちりばめられた2つの黄金の玉から始まったという事実を最初に示し、物語りを始める。

宙に吊り下げられた金鈴塚の金冠=ノ・ヒョンソク記者//ハンギョレ新聞社
昨年の再発掘の過程で新たに確認された巨大な馬の陶俑。頭と前足の部分は完全に出土したが、残りの破片はほとんど見つからなかった。残片は近くに隣接する小さな古墳や飾履塚付近に散らばっていると推定される=ノ・ヒョンソク記者//ハンギョレ新聞社

 1500年ほど前の王室の悲しみは、土に埋められた後、1920年代に発掘されても、すべては明らかにならなかった。その悲しみの実態を後代の人が明らかに示すまでには、じつに100年を再び待たなければならなかった。初めて発掘した日本の学者たちは、悲しみを理解しようとはしなかった。朝鮮半島が古代から自身の領土だったことを立証する考古学的な証拠を探すことを血眼になっていた彼らは、1カ月にも満たない宝探しのような発掘を通じて、子どもの腰の周りで光っていた鈴2つと、騎馬人物形の土器として世間に知られる新羅名品の土器の孤高な姿を強調しただけだった。もちろん、当時としては珍しく発掘報告書が完全に作成され、6世紀の新羅特有の積石木槨墳の構造についての研究の端緒を開いた成果は大きいと評価されるが、墓に宿った新羅の精神世界と感情に対するアプローチは排除された。

金鈴塚発掘時に発掘された土製の騎馬人物像2点。韓国人ならば知らぬものはいないほど有名な「国民文化財」だ。だが、この像の非常に高い名声に隠れ、金鈴塚古墳自体の歴史的意味と他の出土品の価値はあまり知られていなかった=ノ・ヒョンソク記者//ハンギョレ新聞社
金鈴塚から出土した金冠と腰の帯飾り。韓国で出土した金冠では初めて宙にぶら下げて展示した。高さ27センチメートル、直径15センチメートルの小さな金冠と黄金の腰の帯飾りを1メートル前後の子供の身長に合わせ配置した=ノ・ヒョンソク記者//ハンギョレ新聞社

 今回の展示では、日帝強制占領期(日本による植民地時代)の展示に加え、2018~2020年の博物館の再発掘の成果を合わせ、金冠、金鈴、騎馬人物形の土器、金の腰の帯、金の指輪、金の胸飾りなど約300点を展示する。金鈴塚が初めて世に現れた当時の状況を示す導入部は、黄金の玉2つとともに、ガラスのコップ、鐘の形と丸い形の馬鈴など、当時の現場からの発掘遺物を示す。

 メインは第2部の「来世への旅を共にする」。高さ27センチメートル、直径15センチメートルの金冠と黄金の腰の帯飾りを1メートル前後の子どもの身長に合わせて配置し、金冠をぶら下げるという型破りな試みを行った。その隣には、墓の埋葬者と冥土への道を共にする副葬品の箱から出てきた鈴付の様々な高級土器や胸飾り、ネックレス、金の指輪、腕輪などの装身具を見ることができる。新羅土器の最高傑作といえる騎馬人物形の注子は、主人像と召使像として知られている2点を王冠のショーケースの前に置き、亡者の引導者のように構成した。

透明な表面に青色の点などが2列に付けられているガラス容器。当時の最も貴重な名品に選ばれるガラス容器は、金鈴塚が当時の古新羅の最高位層の墓であることを端的に立証する遺物だ=ノ・ヒョンソク記者//ハンギョレ新聞社
展示のメインである第2室に置かれた古新羅の土器。慶州の王卿墓古墳から出土した土器のうち最高の完成度と美しさを誇る最上級品といえる=ノ・ヒョンソク記者//ハンギョレ新聞社

 さらに、再発掘と復元の成果を紹介する領域では、長きにわたる作業の終わりに本来の器物の輪郭をある程度取り戻した金鈴塚の障泥(あおり)の装飾と、馬の後部に付けた革ベルトの実物などが目を引く。日本人たちは発掘当時、この障泥の装飾の天馬を怪獣と誤認したりもしたが、はじめて天馬塚の障泥に劣らない名品が再現され、観客の前に置かれた。革ベルトの実物は、今回の展示を通して初めて一般に公開される貴重な遺物だが、金属の継ぎ目を使った連結部分まで生き生きと残っており、タイムカプセルを見るかのようだ。過去2年間の再発掘の過程で新たに確認された巨大な馬の陶俑は、頭と前足の部分は完全に出土したが、残りの破片はほとんど見つからなかった。残片は近くに隣接する小さな古墳や飾履塚付近に散らばっていると推定されており、今後の発掘過程が好奇心を呼び起こす。

新羅人が実際に乗った馬の後部に掛けられた革ベルトの実物。今回の展示で初めて一般に公開される珍しい遺物だ。金属の継ぎ目を使った連結の部分まで生き生きと残っており、タイムカプセルを見るかのようだ=ノ・ヒョンソク記者//ハンギョレ新聞社
長きにわたる作業の終わりに本来の器物の輪郭をある程度取り戻した金鈴塚の障泥の装飾。日本人たちは発掘当時、この障泥の装飾の天馬を怪獣と誤認したりもした=ノ・ヒョンソク記者//ハンギョレ新聞社

 考古学の発掘結果を紹介する発掘速報展のなかで、100年前と現在の結果を1カ所に集め、初めて金鈴塚の出土遺物を1カ所に集めたという点で、学術的な意味が大きい展示だといえる。愛するものを土に埋める悲しみ、その辛くはかない感情が示された墓が金鈴塚であることを教えてくれる場という意味も見逃せない。来年3月5日まで。

慶州/文・写真 ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/music/1071164.html韓国語原文入力::2022-12-12 13:45
訳M.S

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