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[レビュー]日本はこのようにして朝鮮のコメと金を奪った

登録:2022-12-10 10:50 修正:2022-12-11 09:52
『日本の韓国経済侵略史:コメ・金・貨幣の崩壊』 
キム・ソグォン著、ハンギルサ刊、23000ウォン
庚戌年(1910)に本格的な土地調査事業が始まり、朝鮮の農地を日本人が収奪している=国史編纂委員会//ハンギョレ新聞社
『日本の韓国経済侵略史:コメ・金・貨幣の崩壊』キム・ソクウォン著、ハンギルサ刊//ハンギョレ新聞社

 1876年の江華島条約締結後、朝鮮は押し寄せる外国勢力の圧力によって急激に崩壊していった。開港場を通じて朝鮮のコメと金が「輸出」され、銅などの金属をはじめ、朝鮮よりも工業化が進んでいた外国の文物が一気に「輸入」された。朝鮮の世界経済への本格編入、あるいは内需経済から貿易経済への転換という無味乾燥な表現では表せないほど、その過程はあらゆる騙しや小細工、暴力でつづられていた。これを侵奪あるいは収奪と呼ぶのもそのためだ。

 『日本の韓国経済侵略史』は、コメ、金、貨幣という3つのキーワードで、開港期から日本の植民地時代に至るまでの日本の韓国収奪の過程を解説する。著者によると、開港当時、日本にとって朝鮮のコメは最も“おいしい”物資だった。日本のコメに比べてはるかに安かったからだ。朝鮮米を持っていくだけで十分に利を得ることができた。日本の商人の買い占め・売り惜しみが増え、あげくの果てに朝鮮の民は豊作になっても飢えた。貨幣価値を保存する金も収奪品目だった。朝鮮は日本に比べて金の埋蔵量が豊富だが、朝鮮の採掘水準が低く、日本は攻撃的に朝鮮の金を奪うことができた。

 貨幣はこのような収奪をより容易にした媒介だった。当五銭・白銅貨などの朝鮮貨幣はその価値を失い、本来の役割を果たせずにいただけでなく、鋳造に必要な金属や銅は日本から輸入して使っていた。そのため、日本は銅輸入の動向の把握だけでも、朝鮮貨幣の発行計画と量を事前に把握することができた。朝鮮の為替市場は日本の手中にある格好だった。

 経営学者である著者(米国タルサ大学教授)が、祖父の故キム・ジュンボ高麗大学教授(1915~2007)がロシア・英国・日本の文献をもとに書いた論文を土台にして書いた本だ。

キム・ギョンラク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/1070890.html韓国語原文入力:2022-12-09 10:21
訳C.M

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