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脂ぎった‘反共’土壌, 大教会を育んだ

原文入力:2010-02-26午後08:43:18(1446字)

←<韓国の新教と反共主義>

チャン・ジョンイルの 本のイシュー/

<韓国の新教と反共主義>

カン・インチョル著/チュンシム・2万9000ウォン

暖かな日、しばしば行く家の前の図書館に本を借りに行った。閲覧室で本を借り3階ロビーの日差しの明るいソファで本を眺めていると‘ソウル○○教会’という肩たすきをかけた2人の女が隣の席の学生に何かの質問用紙を配った。あらかじめ受け取った質問用紙に印をつけて1階ロビーに来れば、それを分析して学生の心理相談をするのだ。

ロビーに学生が1人しかいなかったためか、彼らはまもなく閲覧室のドアをあけて入っていった。まさか、そこで質問用紙を回すというのか、すでにそれはある禁止線を越えたことであった。常識的に考えれば閲覧室は本を読んだり借りようとする人々だけに許されるところであって、肩たすきをかけたまま質問用紙を両手に持って入った人々が行き来するところではない。カン・インチョルの<韓国の新教と反共主義>(チュンシム,2006)は、我が国の‘新教保守主義’は神学的・政治的保守主義ではなく‘新教反共主義’の枠組みで見てこそ深く広く見えると語る。韓国新教で反共が最初に明文化されたのは1932年初め、教会内保守主義者と自然発生的な基督教社会主義者などの間に妥協策として制定された12組の‘社会信条’だ。ここで韓国新教は「一切の唯物教育・唯物思想・階級闘争・革命手段による社会改造と反動的弾圧に反対」するという字句を入れ、反共主義を教理水準に引き上げた。教会が共産主義を排撃する理由に無神論のような神学的理由が当然あるだろうが、我が国の場合には6・25を前後して北から38度線を越えてきた牧師たちの金日成に対する憎しみを抜かすことはできない。だが何といっても李承晩と米国教会の支援を受け、戦争以後の韓国社会の‘市民宗教’となってしまった反共主義と一体となったことが‘宣教的利益’に合致したという事実が大きい。38度線を越えた牧師たちは反共主義の市民宗教化に寄与し、例外なく超大型教会を作った。

←チャン・ジョンイル小説家

1989年、新教反共主義者らは韓国キリスト教総連合会(韓キ総)を創立し、それまで韓国教会全体を代表する機構であった韓国キリスト教教会協議会(教会協)を無力化させた。1924年に結成された教会協は軍部独裁時代に進歩的な動きを見せたが、その時期に多くの牧師たちは‘政教分離’と‘聖俗二元論’という盾の後で独裁者と蜜月を過ごした。そうするうちに民主化を迎えた1990年代から我が国の隅々をかき回し、イエス様がおっしゃった‘不和’を実践中と言うが、私に言わせれば‘教会の社会的責任’のことだ。(訳注:本記事のコメント参照)
果たして1階ロビーには相談をするという‘肩タスキ’が並んでいた。教会が神のお言葉に従う信者のための聖殿ならば、公共図書館は本を読む市民の聖殿も同じだ。したがって図書館を布教の空間と思うのは、礼儀を知らないということだ。誰かが肩タスキをかけて、あなた方の聖殿でアンケートを取ったならそれを容認するのだろうか? ある時、ソウルを神に献納すると言う方を‘後ろ盾’に迎えたから何でもできるというのか…。

チャン・ジョンイル小説家

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/407079.html 訳J.S