『咲ききれなかった花
―日本軍性奴隷制被害者ハルモニたちの
終わらない美術授業』
イ・ギョンシン著/ヒューマニスト・1万7000ウォン
「私は、傷が深い人はいつも憂えているのだろうという偏見にとらわれていた。日本軍性奴隷という残酷な経験を経た人々なら、より一層そうだろうと想像していた。それもそのはず、私の悩みの深さはハルモニ(おばあさん)たちの無念な人生についてわずか数日考えただけのものだった。活字を通して接した日本軍性奴隷制の被害者の人生を一人で推測し、精一杯ハルモニたちに同情し、心配していたのだ」
『咲ききれなかった花』はこのような告白から始まる。1993年から5年間、ナヌムの家に暮らす日本軍性奴隷制被害者女性たちと美術の授業を行ったイ・ギョンシンのエッセイ『咲ききれなかった花』は、勤労挺身隊という名前で「慰安婦」被害者たちが負った被害を証言したり研究する本ではない。1990年代に行われたハルモニたちとの美術の授業を、20年あまりの歳月を経て回顧する内容であり、今は亡きおばあさんたちとの思い出を解き放つ。
韓国政府に登録された「慰安婦」被害者は全部で239人だった。ナヌムの家は1992年10月につくられ、著者の授業が行われた時期は4カ月後からだ。「慰安婦」被害者登録作業が行われた初期だったということだ。イ・ギョンシンは漠然とした使命感をでお年寄りのためのハングルの先生としてナヌムの家に足を踏み入れた。ひとこと言葉をかけるのも難しく、後悔しはじめた。そんなとき「私が大学で専攻した美術の授業を一緒にしたらどうだろう」という考えが浮かんだ。
思い切って美術用品を準備して訪ねたが、美術の授業はハルモニたちの意志ではなく、イ・ギョンシン自分の意志だった。この本の魅力はこのような部分にある。文章を飾ったりドラマチックに事件を脚色しない。1987年から1991年まで大学生活をした若い女性が、日本軍性奴隷制被害者であることを勇気を出して証言したキム・ハクスンさんのインタビューを読んだ2年後、ナヌムの家でボランティアを求めるという文を読んで「人生の本質に対面」してみようと訪れるが、当惑する内容が序盤を構成する。
絵の授業をしようと席に着くと、「その場に集まったハルモニたちは、お客さまをもてなしに出てきた気弱なおばあさんたちだった。だが、孫娘のような美術の先生が自分たちに一体何をしようというのか聞きたいという様子がありありと見えた」。良いことをしようという意思があるといって、相手が望む行動につながるというわけではない。助けたいという気持ちでナヌムの家を訪れた絵の先生という「お客」をもてなすために努力したハルモニたちの努力は、おそらくその最初の瞬間には見えなかっただろう。だから『咲ききれなかった花』は回顧的でありながら同時に省察的な文章だ。お年寄りの最初の授業の目標は、画用紙一枚を自由に描きなぐることだった。しかし、ハルモニたちは紙がもったいなくて、描きなぐることもなかなかできなかった。そんなふうに時間が流れた。
「慰安婦」被害女性たちに会い、長い間彼女らに寄り添うこと。自画像の授業の時、ハルモニたちは鏡を持って描くのを渋った。「証言をして集まって暮らし始めた時から、ハルモニたちはすでに個人的な人生は手放していた。しかし、自分が経験したことを証言することと、個人的に顔が知られることは別問題だった。家族がいる場合はことさらそうだった」。悩んだすえに、結局写真を撮って自画像を描こうと提案した。しばらくたって、絵を描かないハルモニたちまでみな服を着替えて出てきては、写真を撮ってくれと頼んだ。本人たちの遺影に使うためだった。そんなふうに時間が流れた。50年以上前の若き日に「慰安婦」として連れて行かれ負ったトラウマが絵のかたちになり始めた後半部にいたると、頁を繰るのがどこまでも重く感じられる。未来のいつかにまた日本が侵略してきて、本人の描いた絵のために迫害を受けるのではないかと心配し、絵ですらも消極的になるという内容を読むと、誰かにとってはまだ戦争は終わっていないことなのだと思う。
8月14日は日本軍「慰安婦」被害者メモリアルデーだ。1991年のこの日は、キム・ハクスンさんが日本軍「慰安婦」被害の事実を世に知らしめた日だ。公式的に被害事実を国家に登録できず息をひそめて暮らした多くの被害生存者たちにも力になったことだろう。2017年だけで8人の被害者が亡くなり、生存者も死亡者も90歳を越えた。韓国政府に登録された「慰安婦」被害生存者は27人に減った。この方たちの勇気ある証言は、韓国社会の最初の「MeToo」告発だった。その勇気は、まだ応えを得ていない。