本文に移動
全体  > 文化

60数年前に米国に流出した文定王后・顯宗の御宝がついに戻る

登録:2017-06-11 21:58 修正:2017-06-12 08:02
韓国文化財庁・米国土安保捜査局の4年の努力が結実 
2013年に押収したが、法的手続き遅れ 
 
8月に国立古宮博物館で公開予定 
朝鮮戦争後に流出したと推定… 
ハンギョレ報道で知られる
亀形のつまみが付いた文定王后の御宝、子息の明宗が母親に死後尊号を捧げたことを記念して金で作られた=文化財庁提供//ハンギョレ新聞社

 朝鮮戦争後、米国にこっそりと持ち出された朝鮮時代王室の一級宝物である文定王后と顯宗の御宝(王など王族の儀礼用印鑑)がついに帰ってくる。

 文化財庁は「過去数年間、米国土安保捜査局・移民関税庁と共に取り組んだ2つの御宝の没収手続きを最近終え、近い将来遺物を韓国国内に持ってくることが確定した」と9日明らかにした。還収された遺物は、8月に国立古宮博物館で公開される予定だという。

金で作られた文定王后御宝(左)と玉で作られた顯宗御宝。顯宗御宝がやや大きい=文化財庁提供//ハンギョレ新聞社

 御宝は王室の正統性と最高権威を示す象徴物だ。今回還収される2つの御宝を含め、多くの御宝は亀形の取っ手が付いている。文定王后御宝は明宗2年(1547)、明宗が先王の中宗の継妃であり母親の文定王后(1501~1565)に「聖烈大王大妃」という尊号(徳を賛える称号)を差し上げたことを記念して金で作られた。また顯宗御宝は、孝宗2年(1651)に孝宗が長男の顯宗(1641~1674)を皇太子に冊封して玉で作ったもので、「王世子之印」と刻まれている。

 2つの御宝は、朝鮮戦争混乱期に米国に流出したと推定される。韓国文化財庁と米国政府が所蔵の経緯を追跡した結果、2つの御宝は米国ロサンゼルスに暮らす現地人が持っていたが、2000年に文定王后御宝をロサンゼルスのカウンティ博物館に売り、顯宗御宝だけを所蔵していたと発表された。文化財庁はハンギョレが文定王后御宝の米国流出事実を初めて報道した後の2013年、米国土安保捜査局(HSI)に2つの御宝は盗難品であるとして捜査を要請し、米国側は同年9月に御宝を押収し還収の手続きを踏んできた。

 韓米首脳は2015年10月、2つの御宝の「早急な返還原則」に合意したが、法的手続きが遅れ還収までには1年8カ月以上かかった。韓国政府が米国との共助で文化財を返還されたのは、1893年に高宗(コジョン)が発行した最初の紙幣である戸曹兌換券原版と大韓帝国国璽など印章9点に続きこれが3番目だ。現在までに存在が確認された朝鮮王室の御宝は計375点だが、朝鮮戦争以後に相当数がなくなり、46点は今もどこにあるかが分からない。

ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/798186.html 韓国語原文入力:2017-06-09 23:14
訳J.S(1225字)

関連記事