登録 : 2017.03.29 17:42 修正 : 2017.03.30 07:27

美術監督に聞く『普通の人』『タクシー運転手』『1987』

スクリーンで1980年代に向けた話題の扉が開いた。23日に封切りした映画『普通の人』(監督キム・ポンハン)。4月末から撮影に入る『1987』(監督チョン・ジュナン)は、市民が民主化のために巨大な運動を創った1987年が背景だ。今夏封切予定の『タクシー運転手』(監督チャン・フン)は1980年の光州(クァンジュ)民主抗争を描く。

 昨年、ドラマ『応答せよ1988』がマンション時代以前の双門洞(サンムンドン)路地の思い出を呼び起こしたとすれば、これらの重い政治ドラマは80年代の風景をどのように描き出すのかも関心事だ。80年代の細々とした風景と巨大なスペクタクルをすべて伝える野心を隠さない三編の映画の美術監督に、スクリーンの中の80年代のイメージについて聞いた。インタビューは封切の順にのせる。

映画『普通の人』が描いた80年代の警察署=オーパスピクチャーズ提供//ハンギョレ新聞社
『普通の人』に出てくる80年代の新聞社は、抑圧される空間を象徴している=オーパスピクチャーズ提供//ハンギョレ新聞社
『普通の人』で主人公とチュ記者が頻繁に訪れる行き付けの飲み屋=オーパスピクチャーズ提供//ハンギョレ新聞社

「80年代、父親の戦場を描いた」
『普通の人』のソ・ソンギョン美術監督

ソ・ソンギョン美術監督=監督提供//ハンギョレ新聞社

 父はバナナが嫌いだと言った。そう言いながら夫人と息子に隠れてこっそりバナナの皮をなめた。映画『普通の人』にはソンジン(ソン・ヒョンジュ)の家の縁側から、彼らがしばしば行くスンデクッパ屋まで、80年代の生活像を具現した風景が満載だ。ソンジンがジープに乗って登場する姿はシナリオにあった話だが、ソ・ソンギョン美術監督が直接見たことでもある。「キム・ポンハン監督は平凡な80年代の父親のドラマのように表現してほしいと言った。全体的に暗鬱な時代を表現したが、ソンジンの家や行きつけの飲み屋はペパーミント色で希望的な感じを与えたかった」というのがソ美術監督の映画全般のスケッチだ。

 しかし、80年代の父親は一旦家を出れば戦場に行かなければならなかった。ソ美術監督は特に「火炎瓶が詰まった大学生のカバンを撮った当時の写真を見て、ピケ、垂れ幕、竹槍、石油カン、火炎瓶、禁書、そのようなものをいちいち作った」と話した。戦争のような時代だった。映画『暗殺』などの美術部で仕事をして、『普通の人』で初めて美術監督を引き受けた彼女が、この映画で最も愛着を持ったのはチュ記者(キム・サンホ)の新聞社だったという。清潔で安楽に表現された権力者の空間である安全企画部事務室や料亭などに対して、新聞社は散らかって粗雑なところで統制を受ける者の空間という感じを与えようとしたというソ美術監督は、80年代の新聞記者を撮り続けた写真家チョン・ミンジョ氏の写真を参考にここを整えたという。「でもこの映画は、空間より人物に対する、行為に対する映画です。一人ひとりの行為が集まって世の中を変えたし、そのような人物の行為を見せることができるイメージが重要だったんです」。『普通の人』はデモ隊が通りを通る時に平凡な会社員が高い建物の窓から振ったハンカチとトイレットペーパーで80年代を記憶する。

映画『タクシー運転手』のマンソプの部屋=ショーボックス提供//ハンギョレ新聞社

「錦南路(クムナムノ)のど真中へ走った」 
『タクシー運転手』のチョ・ファソン美術監督

チョ・ファソン美術監督=ショーボックス提供//ハンギョレ新聞社

 今年最高の期待作の一つで、昨年10月23日に撮影を終えた『タクシー運転手』を引き受けた人は、この分野で第一人者に選ばれるチョ・ファソン美術監督だ。最近も『ベテラン』『内部者』『徳惠翁主』『密偵』など美術としても記憶される映画が彼の手を経た。彼はすでに『犯罪との戦争』や『モービーディック』のような80年代が背景の映画を手がけたことがあるが、「今回の映画では当時の風景を再現するのではなく、光州の情緒を伝えるために努めた」と違いを明確にした。「この映画はとても熱い。軍人が鎮圧に乗り出す直前、錦南路は学生、子供、老人、軍人が集まって、あたかも祝祭のような風景だった。ある瞬間、市場の屋台がひっくり返り人々が死んでいく。日常が破壊され人々が生計を後回しにして街に出た瞬間、明るさと暗さが紙一重の差のように見えたりもする。『タクシー運転手』は広場を描いた映画なので、通常の映画よりは美術を簡素にしようとした」。

 まず、マンソプが観客を光州に乗せて行くタクシーは、かつてのモデル“ブリサ”だ。起亜自動車が作り、今は無くなった緑色のタクシーを探して、ちょっと違う色で塗った。外信記者のピーター(トーマス・クレッチマン)がこの車に乗って錦南路の戦場のど真中に入る。「絶対的に異邦人の目つき、誰かがドアを開けて入る時に見える風景、このような形に見えるように願った」。当時、光州は徹底的に孤立し、近隣の順天(スンチョン)でさえ光州で何が起きているか分からなかった。彼は時代のアイコン的な小道具を最大限に自制して、完全な都市から戦場へ、多彩な色のソウルから暗い光を帯びた光州へ、境界を移る時の感じに注力したという。

 「映画でファン運転手(ユ・ヘジン)の家に行けば、窓にはカーテンの代わりに厚い毛布がかかっている。コーヒーポット、電気釜、その時期のテレビもあるが、灯火管制のために窓のあかりを隠して暮らす、これが代表的な時代風景だ」。『タクシー運転手』で80年代の小道具は、徹底的に自制されるために、そして軍靴に踏みにじられつぶれるために作られた。

「ドキュメンタリーのような事実の世界を指向する」 
『1987』のハン・アルム美術監督

ハン・アルム美術監督=資料写真//ハンギョレ新聞社

 1987年6月10日、ソウル市庁前広場は、辛い煙の中で10代から60代までが一緒に怒鳴る叫びに満ちていた。車の警笛がソウルを揺るがした。長い間身をすくめていた人々が、初めて突き上げる声であった。ハン・アルム美術監督は、その時の写真を基にデザインスケッチを描いていった。彼は『京城学校 消えた少女たち』『解語花』(邦題:愛を歌う花)で世界のどこにも存在しないような幻想的な空間を披露したが、「この映画は写実的表現に主眼を置き、撮影もドキュメンタリー技法が強いだろう」と映画の雰囲気をあらかじめ紹介する。

 その時から20年、今の市庁はどれくらい同じで、また違っているか。『1987』は高層ビルが占領したソウルという空間を再構成することから始める。映画はソウル南営洞(ナミョンドン)の対共分室のシーンから始まる。今は閉ざされたが南営洞は今でも私たちにとって無意識にいつでもこうした種類の暴力的統治は可能だという象徴になった。

 「街頭デモの場面は1階部分は作り直して相当数はコンピューターグラフィックに変えなければならない。ところが『1987』では、時代考証も重要だが学生、知識人、宗教家など様々な階層が一人二人と集まって新しい光を成し遂げる過程を見せる。80年代を知らない観客も映画を見てその時にどれほど多様な人々が集まって何を変えたのかをひと目で分かるように見せたい」

 ソウルだけでない。「地方からソウルのデモを見る場面がある。私たちの映画は、1人の英雄を描くよりは、小さな人々と全国の都市を互いに有機的に連結して、結局は大きな変化に進むということを表わそうとする。どうすれば映画にこのように多くの空間と地域、人々を一堂に集めてスペクタクルを創り出せるか、その一方で、極写実主義的映画に完成させられるかが気になる。自分にとっても強力な挑戦だ」。ハン・アルム美術監督の期待であり責任感だ。

ナム・ウンジュ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2017-03-28 10:22
http://www.hani.co.kr/arti/culture/movie/788262.html 訳J.S(3358字)

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