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今年韓国人が観た韓国映画と日本映画

登録:2015-11-12 01:24 修正:2015-11-12 17:46
韓国と日本の映画のキーワードは

 最近の韓国映画には“正義”があふれている。腐敗した権力者を懲らしめる英雄が猛活躍を繰り広げ、観客は痛快さを感じる。 対して韓国の劇場にかけられた日本の映画は小さくとも暖かい“慰労”を提供した。 ラブストーリーを除けば、正義と慰労が劇場街の大きな流れを形成している。

■正義の回復または暖かい慰労

韓国映画のキーワード //ハンギョレ新聞社

 先ず19日に封切られる『内部者たち』(監督 ウ・ミンホ)が目を引く。映画は現実にはありえない政治チンピラと検事が組み、巨大腐敗権力を痛快にやっつける話だ。 腐敗した権力は政治家・財閥・マスコミが三角同盟を通じて鉄壁の城を構築した。 財閥は金を出し、マスコミは大衆を欺き、有力大統領選候補はこれに乗って大統領府をものにしようとする。 大韓民国の現実に対する映画の“解釈”に同意する観客が多いだろう。

 今年観客1000万人を動員した『ベテラン』(監督 リュ・スンワン)と『暗殺』(監督 チェ・ドンフン)も腐敗した権力を照準にした。 『ベテラン』では暴力的な財閥3世が貨物運送労働者を踏みにじる状況で、“バカ刑事”が最後に正義を回復する。 『暗殺』は日帝強制占領期に舞台を移して親日附逆(反民族的親日)派の清算という歴史的課題を映画らしい方式で見せた。『内部者たち』で政治チンピラのアン・サングを演じたイ・ビョンホンは、最近マスコミとのインタビューで「韓国では『不当取引』(2010年、監督リュ・スンワン)から社会性が濃厚な映画が大きな流れを形成したようだ」と話した。

千万人動員の『ベテラン』『暗殺』から
19日に封切られる『内部者たち』まで
腐敗権力を打ち破り正義を回復
韓国の映画館にかかった日本映画は
飲食など前面に出して疲れた人生を慰労
「ファンタジーの大量消費に過ぎない」指摘も

 このように規模の大きな韓国映画が腐敗権力と一騎打ちを行っている間に、隣の上映館では日本映画が暖かい慰労の物語を観客に提供している。 たいがいはおいしそうな飲食やコーヒーが添えられている。

日本映画のキーワード //ハンギョレ新聞社

 6月に封切られた『深夜食堂』(監督 松岡錠司)は、テレビドラマを通じてよく知られた話だが、韓国国内で13万人の観客を動員し善戦した。 映画は多くの魅力を持っているが、食堂の主人“マスター”(小林薫)が食堂のドアをお客さんが開けるたびにかける一言が特に心地よい。 「いらっしゃい」。一般的な挨拶だが、中低音の暖かな感じがこの映画独特の雰囲気を作る。 この言葉には色々な意味が溶け合っている。「お疲れさん、もう休んだら。何が食べたい? おいしいもの作るから」

 よく似た雰囲気の日本映画が今年だけで幾つもあった。2月に韓国で封切られた『リトル・フォレスト 夏・秋』(監督 森淳一)では、自分のためにていねいに食事を準備する。 そして一人でご飯を食べても「おいしい」と感心する。「私は十分に尊重される資格がある」ということを確認する過程だ。

 『あん』(監督 河瀬直美)では、おいしいパンが出てきて、『さいはてにて~やさしい香りと待ちながら~』(監督 姜秀瓊)には香しいコーヒーがある。これらの映画は飲食を前面に押し出すが、内容は隣人の暖かい慰労が疲れた人生を慰めるという点で同じ系統と言える。

■「もう一つのファンタジーに過ぎない」指摘も

 韓国の観客がこれらの映画を通じて痛快さや温みを感じてはいるものの、あまりに繰り返されて食傷ぎみだという声もぼつぼつ出ている。また、両方とも結局は閉じた回路を堂々巡りしているだけという指摘もある。

 正義の回復を標ぼうした韓国映画は、権力の実体の暴露とこれに対抗する英雄という二つの基本要素を持っている。ところがこれらの暴露には社会的タブーを越える時に伴う筈の挑発性や危険、緊張感がない。 財閥3世の暴力性と親日附逆派問題は常識に近い。

 問題状況を解消する過程が、ほとんど英雄個人の活躍に依存している点もいつも同じだ。 観客は劇場内でカタルシスを感じるが、映画館を出た瞬間、再びうざったい現実に戻らなければならない。 ファン・ジンミ映画評論家は「これらの映画は現実から始まってファンタジーで終わる。 “現実”があまりにも屈強に見える状況でファンタジーを大量消費しているようだ」と話した。

 また日本映画も片方では苦々しさを残す。 日本は20世紀初頭から私小説が発達するなど、小さくささいな個人の領域に集中する傾向を帯びている。 1990年代初期から日本映画は「スケールが小さい」と言われてきた。 だが、最近韓国に輸入された日本映画には、初めから現実を省略して出発しているという点で一層極端だ。 政治、経済、共同体の価値などは完全に脱落し、“疲れた個人”と“気立ての良い隣人”だけが登場する。 日本社会全体が福島原発事態と安倍晋三政権の右傾化などを体験して深い無力感に陥ったためという分析もある。 政治的、社会的解決法が見当たらないから、支えは隣人しかなくなったという話だ。 ナム・ダウン映画評論家は「韓国映画は社会の問題を代わりに解決してくれて、日本映画はよく整った小さなユートピアを見せる。アプローチは反対だが、両方とも幻想に他ならない」と話した。

アン・チャンヒョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/movie/717056.html 韓国語原文入力:2015-11-11 21:22
訳J.S(2317字)