登録 : 2015.11.11 00:09 修正 : 2015.11.11 04:49

『失踪作家、李泰俊を探して』を出版した作家のアン・ジェソン氏

作家のアン・ジェソン氏//ハンギョレ新聞社

-なぜ林和(イム・ファ)でなく李泰俊(イ・テジュン)なのですか?

 「李泰俊は戦闘的ではありませんでしたが、悲惨に生きる庶民の苦痛を具体的に描きました。 平等に関心が高かったんですね。日帝末期に親日文人団体に加入はしましたが、そこから抜け出そうと努めたんです。その時代の作家として、その程度でも珍しいことです。 どうすれば朝鮮が豊かな暮らしができるのか、深く悩みました。 林和(イム・ファ)は極左と観念の間を行き来しました。李泰俊は人間的にも品格のある知識人でした。 詩人気質が強い林和は、二重人格的な姿を見せもしました。 それで李泰俊により強く惹かれました」

 作家のアン・ジェソン氏は1989年に長編『ストライキ』で全泰壱(チョン・テイル)文学賞を受けた後、日帝時代の社会主義革命家の人生の復元に努めてきた。 小説『京城トロイカ』(2004)では、30年代に李載裕(イ・ジェユ)を軸としたソウル地域の労働運動秘密結社「京城トロイカ」の活動に光を当てた。 その後『李観述1902~1950』(2006)『李鉉相評伝』(2007)『朴憲永評伝』(2009)等のノンフィクションで、悲劇的な最期をむかえた社会主義者の行跡に光を当てた。

民主化・労働運動に投身した経験を土台に
1989年『ストライキ』で全泰壱文学賞を受賞
社会主義革命家の生涯復元に邁進
1998年に帰農したが、農業では収益がだせず
「本を書いて金は使わない」専業作家に
資料・支援が不足して“評伝文学”の貧困

 このようなアプローチで文人を選ぶならば、詩人であり革命家であり越北後に“米帝のスパイ容疑”で処刑された林和を先に考えるのが普通だ。 だが、アン作家は最近出した『失踪作家 李泰俊を探して』(青い思想刊)で社会主義とは距離が遠い李泰俊の生涯と文学を探った。 李泰俊は李箱(イ・サン)、鄭芝溶(チョン・ジヨン)、朴泰遠(パク・テウォン)らが参加した九人会の座長だった。 九人会はいわゆる純粋文学団体であった。 彼の短編は読者の感情線を強く刺激する悲哀感と当代の現実を生き生きと見せる写実主義的描写で小説創作の深さを一段階引き上げたという評価を受けた。 彼が解放後に社会主義陣営に加担し北に行ったことに対して意外だという話が出たのもそのためだ。 彼は北でソ連派が失脚した56年に追い出され、校正係や屑鉄拾いをして生涯を終えた。

 「李泰俊の短編の中で『夜道』と『田舎者』が好きです。当時の朝鮮農民の貧しい暮らしを労働者の日当、餅代などの具体的な金額まで使って写実的に描いています。とても心痛い話であり忘れられません」。

 今月4日、ハンギョレ新聞社で会ったアン氏は、人間 李泰俊に関心を持つようになったのは「解放以後、社会主義陣営の集会司会者としてしばしば登場する彼を注視した」からと話した。 彼は李泰俊が北に残ることを決めた瞬間「作家としての生命は終わった」と話した。 「李泰俊個人にとっては誤った選択でした。彼個人の誤りというよりは、20世紀の現実社会主義国家の誤りと言うべきでしょう。李泰俊は外見だけ見て(北に)行きました」。ところが「李泰俊は越北著名作家30人のうちで(金日成体制について)「正しいものは正しい、正しくないのは正しくない」で言った希有な人であり、金日成を偶像化する作品も書かなかった」と彼は付け加えた。

 アン氏は今、京畿道利川(イチョン)で執筆と講義で生計を立てている。「98年、フォーククレーンび乗って帰農して桃栽培を5~6年しました。苦労ばかりで収益は上がらず、同じ苦労をするのなら執筆に専念した方が良いと考えて、今は『本を書いてお金は使わず』に生きています」

 彼が生きてきた人生を見れば、日帝時期の労働活動家に対する関心を理解できる。維新体制末期である79年、女性労働者キム・ギョンスク氏が亡くなったYH貿易労組の座り込みに対する暴力鎮圧事件を見て民主化運動に飛び込み、それから20年余り民主化・労働運動の現場を守った。 江原大畜産学科3年の時である80年、ソウルに光州(クァンジュ)の悲劇を知らせようとして拘束されたのを含めて二度の監獄暮らしを体験した。 83年、軍服務後には九老(クロ)工団と炭鉱地域で労働運動に身を投じ、労働人権会館幹事、全泰壱記念事業会理事としても活動した。

 「現実社会主義が崩れた以後、社会主義運動の歴史を原点から再点検してみたいと考えました。 それと共に日帝時代の社会主義労働運動を覗き見ました。 李載裕や李鉉相のような朝鮮共産党指導部も、実体は労働運動家でしょう」

 彼は日帝時代の社会主義者を高く評価した。「解放後、朝鮮共産党が1年ほど合法的に活動しました。党員3万人の日帝時期の監獄生活期間を通算すれば6万年になるといいます。 日帝時代に朝鮮共産党グループは、韓国4千年の歴史で初めて平等主義思想を具体的に提示しました。 彼らの綱領には現在の憲法の基礎になる民主主義制度を含め国民年金・医療保険・退職金制度などをすべて掲げています。 党員も指導部も大切な存在です」

 アン氏は近い将来『失われた韓国現代史』という本も出す。 解放後の朝鮮共産党中央委員15人を含め指導部19人をそれぞれ原稿用紙100枚で描いた。

 彼は『李泰俊評伝』というには密度が少し不足していると考えて本のタイトルにすることを避けた。「日本や西欧では、一人の人間が暮らしていた家や物などをそっくり保存している事例が多くあります。 それを土台にシュテファン・ツヴァイク(1881~1942・オーストリア)のような人が書いた偉大な評伝が出されました」

 彼が関心を持つ社会主義系列の人物の資料は一層遺っていない。 かろうじて遺っているのは日帝強制占領期間の裁判記録や周辺人物の部分的証言程度だ。 南労党幹部で朝鮮戦争勃発後に西大門(ソデムン)刑務所で処刑された李舟河(イ・ジュハ)に至っては裁判記録さえ見つからない。「今月出版される略伝でも、当初は25人を扱おうとしたが、資料不足で日帝時に7年間の獄中生活をした金占権ら6人は扱えませんでした」。

 なぜ韓国の出版界ではしっかりした評伝が少ないのだろうか。「独立記念館は独立活動家の伝記を出す際に著者に対して400万ウォン(約43万円)を支援します。それで薄い本一冊が出て来るのです。 専攻研究者が論文実績のような負担から解放されて、まともな支援を得ながら特定の人物を調べることができたらと思います」。彼は「国家や研究機関からは今後も私が書こうとするような人物に対しては支援が得られそうもない」と付け加えた。

カン・ソンマン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-11-10 18:56
http://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/716809.html 訳J.S(2950字)

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