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韓国親日派は日本親米派をベンチマーキングしたのか

登録:2013-04-12 21:37 修正:2013-04-13 04:27
帝国日本 第2次大戦敗戦後
穏健派ら 米軍に積極協力
戦争責任 軍部に押し付け
被害者を装い 加害の記憶は除去
米国は日本政治を思うがままに
準植民地的 従属国家を作った
すべての過程を韓国でそのまま複製
1945年9月2日、日本 東京湾に停泊した米国戦艦ミズーリ船上のダグラス・マッカーサー(手を後ろに組んだ人)連合国総司令官の前で降伏文書に署名する日本代表。 米国は占領統治上の必要のために戦犯勢力を再起用し、戦後日本は戦前の日本と断絶なき連続性を維持した。 メディチ提供
戦後の誕生 クォン・ヒョクテ、チャ・スンギ 編/グリーンビー・2万ウォン

米国は東アジアをどのように支配したか 孫崎 享 著、ヤン・ギホ 訳/メディチ・1万8000ウォン

 聖公会(ソンゴンフェ)大東アジア研究所が企画した<戦後の誕生>と先日翻訳出版されて関心を集めた<日本の領土問題>の著者 孫崎 享のまた別の本<米国は東アジアをどのように支配したか>は、別の問題を別の方式で扱っているにもかかわらず、いくつかの共通点がある。 まず2つの本は共に‘戦後’, 特に日本の戦後を扱っている。 孫崎の本も原題は‘戦後史の正体’だ。

 戦後とは何か? 字句どおり戦争以後を意味する。 日本で言う戦後は、帝国日本の第2次大戦敗戦以後だ。 しかし単に時間的区分だけを示すものではない。 ここには日本をしばらく占領していた戦勝国 米国が基本枠を組み立てた体制という意味も入っていて、戦争前とは異なり経済大国として繁栄し平和な民主主義国家 日本という、大多数の日本人たちが自国について共有してきた一つの価値概念でもある。

 日本の戦後民主主義の精神的支柱として‘戦後日本’の意識形成に莫大な影響を及ぼすことにより‘戦後日本思想界の天皇’とまで呼ばれた丸山真男は1946年5月に発表した文‘超国家主義の論理と心理’でこういう話をした。

 "8・15は日本軍国主義に終止符を打った日だ。 そして同時に、超国家主義のすべての体系の基盤である国体がその絶対性を失い、ようやく初めて自由な主体になった日本国民にその運命を委託した日だ。" 8・15、すなわち敗戦を境に日本の戦後は転転、すなわち戦争以前と完全に‘断絶’されたと宣言したこの有名な話は戦後日本の新しい出発を実感する程の有力な準拠の枠組みとなった。 <戦後の誕生>で中野敏男 東京外国語大教授は、これは全く別の道に進むこともできた戦後日本のまた別の可能性を遮断し事実上、戦前-戦後連続という現実を革命的断絶神話で覆い隠すことに寄与したと見る。

 最初から断絶はなかった。 日本‘天皇’と宮中グループ、そして‘穏健派’と呼ばれた親英・親米派の政治家や外交官らはグループを結成して国体の維持と戦争終結のために動いたし、敗戦後には占領軍に積極協力して生き残った。 その時、彼らはすべての戦争責任を軍部に押し付けた。 だが、帝国日本の覇権拡張の野望を共有していたという点で彼らは軍部と変わるところが全くなかったと中野教授は見る。 戦後日本の保守本流もそこから生まれた。 したがって‘軍国主義勢力 対 穏健派リベラル’という構図は虚構であり、その架空の構図を自らの保身に徹底的に利用したという点で、戦争に積極的に協力した日本言論・出版界も違うところがなかった。

 戦争という悪の根源が‘粗野で兇暴な軍人’にあって、無力な者はその暴力に対抗できなかったという論理が受容されながら多くの日本人たちが被害者の顔をしながら戦後に再び前面に登場できた。 それで多くの人々が戦後について自己責任に関して深刻に悩むことなく民主主義者に‘転向’できたし、ついには自分たちを被害者として認識した。 そのような被害意識の中で他民族に対する加害の記憶は除去された。 このようなパターンは親日派とその後えいが勢力を伸ばした韓半島でもそのまま複製された。

 <戦後の誕生>はこういう過程を経て過去責任を封印してしまった戦後日本の誕生メカニズムを、特に "朝鮮の消去" 、朝鮮に対する加害事実忘却ないしは消却を中心に見て回る。 編者クォン・ヒョクテ教授は、ナショナリズムと民主主義の‘幸せな結婚’を近代の完成と見た丸山の場合、彼が日本近代を批判する枠組みとして使ったファシズム論自体に帝国主義と植民地、植民地朝鮮の現実が入る余地がなかったと見る。

 日本のこのような戦後の誕生に決定的な役割をしたもの、それは戦前-戦後の連続性を保障し‘朝鮮の消去’までも可能にしたものこそまさに米国の戦後処理であった。 米国は自国のアジア太平洋反共安保体制構図に日本を引き込み‘高性能基地国’にすることによって、20世紀にアジアを植民支配と戦争の惨禍で汚した日本をその歴史的責任から解放した代わりに、韓半島とアジアの過去の被害者を新たな束縛の中に追い詰めた。

 <米国は東アジアをどのように支配したか>は、まさに米国のそのような動きを戦後日本の内部政治を左右してきた具体的な介入事例を通じて生き生きと見せる。 著者 孫崎は特に戦後日本外交を動かした最大の原動力が米国の対日圧力とこれに対する日本支配勢力内の自主路線 対 米国追従勢力間の葛藤だと見て、その枠組みを通じて日本現実政治を解釈する。 米国の圧力は徹底した自国利益追求を基調とし、主に駐日米軍基地を自分たちの望み通りに維持し、日本の中国(旧ソ連も含む)接近を牽制するために発動される。

 孫崎は例えば、2009年に政権交替を成し遂げた民主党の鳩山由紀夫が執権9ヶ月目に総理職から辞退したのは米国共和党と日本自民党が2006年に合意した沖縄の普天間米海兵隊基地の県内移転に反対したためだと見る。 米国は鳩山が中国およびアジア重視論を前面に掲げたことに対しても強く反発した。 鳩山は結局、日本保守政治家らと官僚、主流言論、検察の集中砲火の中で早期退陣せざるを得なかった。孫崎は日本国内のこのような力学構図の背後にも米国がかくれていると語る。 約7年にわたった米国占領統治の後、日本の支配勢力自体が徹底的に親米化し、米国の利益がすなわち彼ら親米特権勢力の利益と一致することになった上に、中央情報局などの工作がそこに作動する。 一時民主党の実力者であり鳩山辞任後に予備総理1順位であった小沢一郎がついに総理にならなかったのも、彼の中国重視のためだと孫崎は話す。

 それだけでなく1972年に米国より先に中国と修交した田中角栄を総理職から追い出し政治的に埋葬させたロッキード事件にも米国の影響が立ちこめていて、戦後最初の社会党 片山 哲政権、そして芦田 均と石橋湛山、細川護熙政権などが短命なのも全て米国の利益との衝突のためと見る。 要するに、米国は今でも自国利益を基準として日本の国内政治を左右できるほどの現実的な力を持っているということだ。 言い換えれば日本は依然として米国の準植民地的従属国家という話になる。

 陰謀説のように聞こえかねないこのような話が説得力を持つのは、36年間にわたり外務省で勤め、多くの国の大使と防衛大学教授まで歴任した著者の経歴のためだ。 現場体験を土台にした彼の話を読むと、‘わが国はそうではないのか?’という考えに浸らざるをえない。

 しかし中野、クォン・ヒョクテの視線で見れば、孫崎の限界が見える。 例えばA級戦犯であり、中央情報局の支援の中で保守合同自民党‘55年体制’を作り、米国が寵愛した岸信介、すなわち安倍晋三 現総理の母方の祖父を、彼が改憲と独自路線を追求したという理由で対米自主派と見て肯定的評価を下す孫崎は、日本国内で保守主流を批判する非主流であるにもかかわらず‘穏健派リベラル’類型に映る。

ハン・スンドン記者 sdhan@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/582615.html 韓国語原文入力:2013/04/12 20:26
訳J.S(3315字)

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