原文入力:2009-04-20午前09:13:36
ノ・ヒョンソク記者
←現在の仏国寺の様子.
統一新羅の代表的古刹である慶州仏国寺(史跡および名勝1号)を1918年に日帝が補修する前に作った原本実測図と1918~1919年の1次修理当時に作った設計図面が発見された。特に1次修理当時、日帝は青雲橋・白雲橋・蓮華橋・七宝橋などの寺の階段の手すりを全てなくし下段石垣の石欄干柱と欄干も除去する整備計画をたてた事実が新しく明らかになった。
去る2000年から国家記録院に所蔵されていた日帝時代建築図面を調査・分析してきたチョン・ポンヒ ソウル大建築学科教授は去る18日開かれた建築歴史学会学術発表会で1918年仏国寺実測図,修繕(修理)工事設計図などの図面4点を公開した。
公開された図面は全て1918年作られたもので、修理前の寺平面図構造を示す ‘慶州郡,仏国寺境内実測図’と、正面構造図である ‘仏国寺石垣急階段実測図’,修理のために作った設計図面である‘仏国寺修繕工社設計図’とこれを修正した‘仏国寺修繕工事変更設計図’だ。20世紀初め仏国寺境域を補修する前の本来の姿と以後の補修工事内容を具体的に示す唯一の資料だ。チョン教授は「1970年代の大規模復元でなされた仏国寺の今の姿と比較考証できる具体的根拠になるという点で建築史的価値が高い」と話した。
←1918年日帝当局が作成した仏国寺修繕工事設計図。本来設計図は仏国寺正面下段石垣の石欄干柱と青雲橋・白雲橋などの石段欄干などをなくす構造だったが、修正設計図で石垣と階段の石欄干を大部分復元することに変わった。また紫霞門(図面で最も大きい建物)とその左側の建物の泛影樓の間に回廊を復元する計画案も見られる。
←1918年日帝当局が作成した仏国寺修繕(修理)工事設計図を修正した変更設計図。本来設計図は仏国寺正面下段石垣の石欄干柱と青雲橋・白雲橋などの石段欄干などをなくす構造だったが、修正設計図で石垣と階段の石欄干を大部分復元することに変わった。また紫霞門(図面で最も大きい建物)とその左側の建物の泛影樓ぼ間に回廊を復元する計画案も見られる。
ノ・ヒョンソク記者nuge@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/350659.html 訳J.S