原文入力:2012/03/02 21:45(2211字)
<私は朝鮮人カミカゼだ>キル・ユンヒョン著/西海(ソヘ)文集・1万5000ウォン
<私は朝鮮人カミカゼだ> "海行かば水漬く屍/山行かば 草生す屍/大君の辺にこそ死なめ/かへりみはせじ" 太平洋戦争が終りに近づいた1944年10月、日本軍部は軍歌‘海行かば’とアルコールの入らない水杯に酔い、爆弾を載せて敵艦隊に突進する神風特別攻撃隊を編成する。 関行男 大尉が導く自殺特攻隊は航空母艦2隻を無力化し、軽巡洋艦一隻を沈没させた。 5機の飛行機がおさめた戦果は日本海軍の両軸であった栗田艦隊がおさめた戦果を凌駕した。
それが問題だった。 日本軍部は若者たちを高性能爆弾を搭載した古い戦闘機に乗せ前線に追い立てた。 最も多くの特攻隊員が出撃したところは日本、九州の知覧飛行場だ。 そこが激しい攻防が繰り広げられた沖縄に最も近い飛行場だったためだ。 自殺特攻隊死亡者は1036人。その内17人が朝鮮人だった。
<私は朝鮮人カミカゼだ>は沖縄戦闘で死亡した17人を含め太平洋戦争中に自爆飛行で亡くなって行った朝鮮人若者19人にまつわる話だ。 日本では‘カミカゼ’自体が神話化され実状がきちんと知らせられなかったし、韓国では朝鮮人カミカゼが親日派と見なされて後回しにされた人々だ。 べたべたと貼られた親日派のレッテルを剥がすと、大学の授業料がなくて、単に飛行機が好きで、制服が格好良く見えたために操縦士になって、他人の戦争に巻きこまれて消えていった‘誰それの家の息子たち’だ。
著者<ハンギョレ>キル・ユンヒョン記者は2010年‘庚戌国辱100年新しい100年’企画取材に参加し‘カミカゼで失われた朝鮮青年たち’の部分を引き受け取材した。 日本総督府の機関紙である<毎日新報>の記事と加害者側である日本人たちの著書など。そこから‘軍国主義英雄’という視角を取りはらい、韓国の遺族の証言と生存者の回顧録のところどころに散った断片を集め朝鮮人カミカゼの骨格を再構成した。そこから光を見た話が今回 本一冊の分量で読者らと出会うことになった。
←パク・ドンフン(上)、ハン・ジョンシル(下)
朝鮮人カミカゼは陸軍少年飛行団(少飛)10人、陸軍特別操縦見習士官(特操) 5人、航空機乗員養成所3人、陸軍士官学校1人だった。大部分が少飛、特操の出身だ。
1933年に作られた少飛制度は15~17才の青少年を対象に3年半程度の専門教育を終えた後、操縦、通信、整備など各分野の伍長(下士)として任官する制度だった。 特操は大学または専門学校出身に対して1年半程度 操縦技術を教え曹長(上士)階級章を付ける速成操縦士養成プログラムであり、戦争末期の1943年に施行された。
この制度は植民地朝鮮の青少年にとっては人生逆転のチャンスであった。 失業難が深刻だった当時、試験に合格すれば月給を受け取り操縦技術を習うことができたため途方もない人気を呼んだ。 2500人を募集した特操1期の競争率は6対1だった。朝鮮人最初の神風特攻隊員であったイン・ジェウンは浪人の末に合格した。 村から合格者が出れば牛をつぶして祝った。
←左からタク・ギョンヒョン、ノ・ヨンウ、キム・サンピル
操縦士としてまともに技量を発揮するには最低3年600時間の飛行が必要だが、彼らは250時間程度の練習飛行を経た後、戦場に投入された。 航法装置がなかった時期なので、広い海で絶えず動く点として存在する空母を肉眼で捜し出すことは不可能に近かった。 敵艦隊の位置を知ったとしても、レーダーを備えた連合軍が160km前方から動きを追跡し100kmぐらいで迎撃に出たために特攻隊の成功率は6%に過ぎなかったという。
飛行機や制服が格好が良くて入隊
他人の戦争で犠牲になった朝鮮人ら
遺族証言などを通じて事縁を読みだす
本は彼らが‘目前に迫った死を恐れない皇軍の戦士たち’と‘単に飛行機が好きだった10代の少年、あるいは日本のうんざりするほどの差別に苦しんだ20代のエリート’の中ほどで名分も実利もなしに無駄に死を迎えたとして、韓国社会は花のように美しい若さで灰色の空間へ消えたこの若者たちの事縁に耳を傾けてみる準備ができているだろうかと問いかける。
著者の問題意識は朝鮮人操縦士の運命が「エゴマの葉一枚程度の違いで分かれた」という事実にある。運の悪い者は死んで‘親日派’になったが、生きて帰ってきた者は大韓民国空軍に変身し‘韓国戦争の英雄’、または‘韓国航空産業の父’になったということだ。 解放は彼らにとって既存の世の中が終わったことではなく新しい変化の契機となった。 戦闘機の操縦が特殊な専門分野だったためにより一層そうだった。
だからだろうか。 カミカゼの遺産は‘軍人精神’へと続く。‘今月の戦争英雄’と‘今月の護国英雄’に選ばれた空軍所属軍人の中で、10人が韓国戦争当時、敵の攻撃で飛行機が墜落する時に落下傘で脱出する代わりに自殺攻撃を選んだ。
イム・ジョンオブ先任記者 blitz@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/521784.html 訳J.S