原文入力:2011/09/06 19:04(1157字)
<文化放送>(MBC)が昨日(9月6日)主要日刊新聞に対国民謝罪広告を出した。米国産牛肉の安全性問題を扱った2008年4月の≪PD(ディレクター)の手帳≫が、ジャーナリズムの基本をおろそかにした事実が大法院判決で明らかになったので、謝罪申し上げるという内容だ。MBCは夜9時の≪ニュースデスク≫等を通しても謝罪放送をした。 裁判結果をよく知らない読者・視聴者ならば、≪PDの手帳≫が有罪判決でも受けたものと誤解しそうだ。 だが、≪PDの手帳≫は大法院で無罪が確定した。
≪PDの手帳≫事態に対する大法院判決の核心は自明だ。「政府または国家機関の政策決定や業務遂行は常に国民の監視と批判の対象になるべきであり、こうした監視と批判は言論報道の自由が十分に保障される時はじめて正常に遂行される」ということだ。 権力に対する監視機能の方が、報道の部分的間違いより重要だという意味だ。 こういう常識を無視したまま、政治権力と検察、保守言論は≪PDの手帳≫にクツワをはめようと絶えずけなし攻撃した。 その結果、韓国社会は3年4ヶ月の間、不必要かつ消耗な攻防を行わなければならなかった。
したがって大法院判決を機に国民に頭を下げなければならない当事者は、政府と検察、そして保守言論だ。 にもかかわらず、突拍子もないことに、MBCは事実と違った一部報道内容を理由に謝罪をし、取材過程であらわれた問題点を正すと言い出した。 プログラム製作に対する統制を強化し第2,第3の≪PDの手帳≫を作らないという公開宣言に聞こえる。MBC内部では≪PDの手帳≫製作スタッフを人事委員会に回付するといううわさが出回っているという。
MBCが権力に対する監視・批判を基本責務とするまともな言論ならば、発表すべき声明は別にあった。 批判言論を絶えず弾圧する政治権力と検察などを叱責し、言論の自由守護意志を明らかにする声明だ。 そうした中で、ささいな誤りも容認しない責任ある言論になることを誓ったとすれば、国民皆が拍手を送っただろう。 だが、謝罪文のどこにも、政治権力や検察に対する批判は見出せない。
MBCの謝罪は、政権と近いキム・ジェチョル社長が言論の責務を放棄し政権コード合わせになりふりかまわず乗り出したという批判を受けるのに充分だ。 キム社長は言論の自由に逆行する“反省文”を書いたことを謝罪しなければならない。 そして、これ以上 公営放送の最高責任者の座に留まっていてはならない。
原文: 訳A.K