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[朴露子ハンギョレブログより]「現実社会主義」は朴正煕体制と同じだったと?

http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/34431

原文入力:2011/04/13午前06:45(4635字)
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

「現実社会主義」から取るべき長所に関する先週の私の拙文に対する批判的な反応を見ると、その多くは「このような論理なら結局、朴正煕などの開発独裁さえも合理化できるのではないか」という憂慮に基づいているようです。私の意図は一党独裁に対する合理化にあったのではなく、独裁の外で営まれた社会生活、そして個人的な利潤追求を排除した計画経済などの10月革命の遺産といえる多くの部分に対する関心を呼び起こしてみようというものでしたが、「開発独裁」の問題が今なお時宜的なコンテクストである韓国においては、その文が自分の意図とは関係なくそんな風にも読まれかねないかなと思いました。おそらく私に誤りがあるとすれば、それはソ連などの「現実社会主義」体制と朴正煕体制の表面的な類似と本質的な相異に対する考察をも行うべきだったようです。遅ればせながら、この誤りを正すためには、左派系統の「統制社会」であった旧東欧諸社会と極右派の「開発独裁」体制(朴正煕体制など)とを大まかながら一度比較してみたいと思います。

ソ連であろうと朴正煕時代の南韓であろうと、今 私がなんとか生き延びているノルウェーであろうと、すべての近代国民国家は国民国家としての共通の特徴を持っています。南韓の「国旗への誓い」のようなファッショ的な「国民儀礼」は行いませんが、ノルウェーでも学校などの役所はもちろん、個人の住宅でさえも少なからず「国旗掲揚」を行い愛国心を満天下に誇示します。私は何時間か前に息子の通っている平凡なノルウェーの小学校のPTAに行ってきましたが、クラスの担任室の隣の壁には大きなノルウェーの国旗が掲げられており、その横には「ノルウェーは世界最高!」と誇らしげに書かれておりました。世の中には「大韓民国主義」のみが存在するのではなく、国民国家は概して国旗、国歌などといった「国民的な所属」のシンボルを利(悪)用した「国民意識」の注入により階級意識の前景化をあらかじめ防いだりして体制の安定を図ります。果してソ連は大きく異なっていたのでしょうか。まあ、私は今でも旧ソ連の国歌をすぐにでも歌えるくらい(音痴なのであまり歌いませんが)、学校で国歌をよく斉唱し, またよく聴きました。

しかし、南韓、ソ連、ノルウェーなどがすべて同じ「国民国家」に属するからといって、果してこれらをすべて「同じ存在」と見ることができるのでしょうか。何時間か前のあのPTAで「私たちの学校の核心的な課題は、子供たちの間の心理的・社会的雰囲気が参加と統合を中心に形作られ、特に遊ぶ時にどんな子供も排除されないように気を配り、子供たちが仲間に対して劣等感を持ったり、仲間たちとの葛藤が起こらないように前もって雰囲気を整えることだ」と述べた息子の担任の話しからして、南韓の状況ではほとんど想像もできないことです。子供たちが先生の前で恥ずかしがることを克服できるよう、毎朝子供たち全員と握手を交わす習慣もそうです。逆に「0校時、優劣クラス、夜間自主補習」などの話をノルウェーの誰かにしたら、そんな事が可能だと信じる人はおそらくいないでしょう。ということで「同じ国民国家」だからといってもすべてが同じようなものでは決してないのです。社民主義国家と財閥準独裁国家の間の相違は想像を絶するものがあります。

次に、南韓(そして台湾、軍国主義時代の日本など)とソ連(ポーランド、東ドイツなど)を比べてみると、手続き民主主義を排除した総動員的な政権下で超急速な工業化を成し遂げた点は確かに -表面的には- 類似しているといえるでしょう。総動員の空気が漲る中での急速な工業化という状況は、さらに他にも多くの共通点を派生させました。たとえば、朴正煕式の低穀価政策であれ、スターリン式の低収買価、トラクターなどに対する高賃貸料政策や食糧品徴発政策であれ、都心の工業化に対する負担を概して農業部が担っていました。また総動員の空気は全社会の軍事化にもつながり、ソ連でも南韓でも徴兵制による軍服務は多くの男性たちにほとんど「通過儀礼」になり、高校生までも教錬の授業を受けるのに苦労しなければならなかったのです。私にとっても特に教錬の授業が大変辛かったため、元大佐の教錬先生を常に「変な」質問で困らせたりしました。たとえば、「核戦争の場合は味方軍がアメリカ帝国側に核爆弾を投下する際にアメリカの労動者などの無産階級をも犠牲にすることは果して共産主義の教えに適うものなのか。敵国の人民の階級を選り分けることのできない核兵器のような大量破壊兵器を共産主義的な軍隊が利用することが正しいことなのか」といった質問でした。これといった回答のなかったその大佐が、私に復讐(?)する方法は自動銃の分解組立を規定どおりの45秒でクリアできなかった私に「お前みたいに自動銃もろくに扱えない者は果して男なのか。そんな者に果して嫁にくる女性がいるだろうか。変なことを考えずに自動銃が自由に使いこなせるように頑張れ!お嬢さんたちにもてるコツなのだ!」と大きな声で怒鳴ったりすることでした。もちろんクラス中が笑いの渦になりました。こうして「もてない非男性」に転落したりした私が、もし南韓の学校で大佐級の教錬先生にこんな風に食い下がったりしたらどうなったでしょうか。まさにその自動銃で頭を殴られ、「非男性」どころでなく、ほとんど半殺しにされたのではないでしょうか。「現実社会主義」の学校では体罰が絶対不可能だった点からして、超圧縮型工業化の両モデル間の極めて本質的なギャップを実感することができます。この乖離の根底には、両モデルを実践に移した両政権の政治・社会的な発生経路における本質的な相違が横たわっているのです。

朴正煕や彼と共に政変を起こした共犯たちは -たとえ個人的には卑しい出身の自手成家型出世主義者たちが多く混じっていたとしても- 根本的には南韓社会の既得権層に属していました。朴正煕個人のことで言いますと、植民地末期からすでに既得権層への編入コースを終えた人、すなわち総督府の統治権を受け継いだ南韓の「建国集団」の核心的メンバーになる資格のある人でした。財閥たちの財産をすべて沒収するかどうかという初期の迷いを彼らがいち早くあきらめ、1964年以降の国家主導の経済を徹底して財閥という媒介を通じて推し進めました。官閥と財閥のほかにあの「奇跡的」な発展で得をした人々は、1963年から今までに約1176倍ほど(ソウルの場合)値上がりした地価高騰で急速に金持ちになった不動産所有者、すなわち中産層たちです。借家住まいの40%の大韓民国の市民たち、すなわち賃金労動者たちの中問層と下層や貧困層の場合、そして若干の不動産を所有していても狂ってしまった私教育競争などでどうせ負けることになっているかなりの中産層の中部や下部の場合は?彼らは結局1960年代初頭の殺人的絶対貧困は脱したものの、相対的貧困の淵に追い遣られたままです。上位の5~10%だけが常に勝つことになっている寡頭制社会の「無限競争」に疲れ果て、病気にかかり、ストレスで苦労しながら惨めな暮らしを強いられ、大多数の場合は不遇な一生を寂しく終えるのが彼らの悲劇的な運命です。一言でいえば、朴正煕型高度成長ははじめから徹底的に反民衆的だったし、その特徴は特に新自由主義時代に一層露骨になっており、韓国を自殺率だけが超高度成長する、生きることが怖い社会にしてしまいました。

朴正煕が既得権層の一部だったなら、「現実社会主義」社会の指導部たちはだいたい社会主義革命勢力の中では保守派に属した人物たちでした。彼らが急進的な革命家たちを粛清しながら革命を経た社会をかなり保守化してしまったのは大変残念なことでしたが、一応革命を経た社会であっただけに、革命の遺産を完全に振り捨てることはできませんでした。たとえば官僚集団は生産手段を集団的に統制しながら労動者たちによる自律的な職場民主主義を排除しましたが、経済的な特権や政治的な権力は世襲されないなど、革命を経験した民衆たちの求める基本的な社会正義はそれでも貫かれました。工場の支配人がその工場を独断的に運営したとしても、所有したり子孫たちに受け渡すことはできませんでした。スターリンの息子が空軍将校になり、フルシチョフの息子が有名なミサイル設計士になり、ブレジネフの娘が外務省古文書保管課の中間級官僚になっているように、彼らは政治権力を世襲するなど夢にも思わなかったのです(この側面では「現実社会主義」は今日の北朝鮮社会とは本質的に違います)。個々人の資本家が企業を所有する代わりに、業績主義的な原則に従い昇進することのできた官僚たちが国家全体の生産施設を集団的に(所有せずに)管理する過程においては私的な富の蓄積や位置の世襲などの地代追求的行動はそれなりに牽制され、多数の利害関係を考慮する国家運営がある程度可能になったりしました。今の南韓の水準を遥かに上回る大多数の民衆のための福祉は、すなわちこのような状況において可能になったのです。一言でいえば、たとえ「現実社会主義」が社会主義的な革命の保守化過程の産物だったとしても、従来の既得権層が転覆され新しい官僚層が民衆たちの社会正義への欲求をそれなりに考慮しながら私的な利潤追求の排除、大多数のための福祉政策推進などをせざるを得なかったのは、「革命的なエネルギー」がある程度残っていたことを窺わせます。朴正煕の道も「現実社会主義」の道も同じ超高速産業化の道でしたが、その質においては本質的な相違があったのです。

1980年代末~1990年代初めに繰り広げられた歴史的な悲劇の結末を、我々は既に知り尽くしています。資本家になりたくてしようがない官僚たちにより「現実社会主義」が自滅し、その領土は中心部ないし(南韓のような)準中心部の産業資本のための資源供給地と商品市場に転落してしまいました。革命の遺産を守り切れなかったかつての「人民」たちは、階級の敵を前にしてあまりにも弱かった罰で、新しい寡頭財閥の権利なき下僕になるか、私のように自分を中心部に売らなければならない亡国奴的な境遇になったのです。階級闘争で敗れた被搾取者を待つ運命がどんなに惨めなものだったのかを、このことからも少しは分かっていただけるのではないでしょうか。しかし、かつて不完全ではあれ自由の空気を吸ったことのある人々が永遠に奴隷的な境遇に自ら満足すると思いますか。今すぐではないにしろ、旧ソ連や中国はこれから巨大な階級的な「地震」の中心に置かれる可能性が高いと言えます。これを準備するためには、硬直した官僚たちにいくら問題があっても個人の資本家と個人的な利潤追求なしに自由に暮していた「あの時代」に対する集団記憶の存在は非常に重要です。その集団記憶は、これから新たな火炎を燃え広がらせる「ガソリン」の役割をすることでしょう。

原文: 訳GF