原文入力:2011-04-11午後08:03:31(1092字)
教育者なのか学校事業家なのか。ソ・ナムピョ カイスト総長に訊ねたい言葉だ。教育者ならば彼の子弟4人が自殺した時点で彼はすでに辞退するべきだった。しかし今まで席にこだわるのを見れば腐敗私学の学校企業家と何ら変わらない。そのような人ならば、より一層大学総長職に残っていてはならない。名誉退陣する時期をのがしたという指摘もあるが、遅れたと考える時が早い時だ。
カイスト教授協議会が昨日の総会でソ総長の退陣問題を議論したあげく、退陣に留保的だったという。犠牲になった学生と失踪した学校教育の前で、真に困窮する選択に違いない。ソ総長はこれを自身に対する支持と誤解してはならない。教授たちの選択は学校の名声を少しでも守ろうとする苦肉の策に過ぎない。彼に対する評価は教授や学生など学校構成員と一般社会ですでに終えている。彼は自身の象徴とも言える懲罰的授業料制度を廃止し、これ以上カイストに残っている理由が消えた。彼の退陣を通じて彼が導入した残りの機械的競争主義制度も清掃しなければならないだろう。
ソ総長が退陣しなければならない理由は、単に学界、大学街、市民社会などの荒々しい世論のためだけではない。彼自身もよく分かっているだろうが、ソ総長は教育者としての資格がない。彼は企業家が規模拡張に血眼であるように、学校の規模を増やすことにだけ専念した。懲罰的授業料もその財源として使うためという話もある。第二に、教育の内容ではなく大学序列にのみ執着した。序列のためにとんでもない全科目英語講義を強制し、これは教育の質をひどく低下させた。結局、序列は彼自身の名声のためのものであり、学生たちのためのものではなかった。彼は創造的で社会の尊敬を受けるカイストを夢見はしなかった。
この他に規制と競争一辺倒の政策は学生たちの学問に対する情熱を枯死させ、民主的疎通構造をなくした。学問は自由な精神の中で発展し、参加と協力を通じて競争力を高めることができる。それでも依然として自身の誤りを認めない。談話文に勉強ができるほど自殺率が高いなどの話を堂々とするのを見れば、常識を疑われて当然だ。
他人の苦痛に最小限の関心も、共感する能力もない人ならば、この社会を病ませるだけの存在だ。ソ総長は一刻も早く退陣することが私たちの社会とカイストのための最後の奉仕になるだろう。
原文: 訳J.S