原文入力:2011/02/04 午前03:16(3009字)
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
近頃は寝ても覚めてもエジプトやイエメン、モロッコ、アルジェリアのことばかり考えています。多数の住民たちが絶対貧困線である1日2ドルの所得も得られずに貧困に喘ぎ、政府は文字通りの「泥棒政治」(cleptocracy)の模範を示す、この絶望の場所ではまさに今 歴史が塗り替えられようとしており、世界の今後の運命が決定されようとしています。チュニジアとエジプトで革命が引き続き進行すれば(すなわち新しい保守政権創出の試みが失敗に終わり、下からの急進化への圧力がずっと続けば)、世界は非常に大きく変わるでしょう。革命の怒涛はアラブ圏の他の親米政権まで倒す可能性が大きいですが、もしそうなれば、アメリカの世界的覇権とイスラエルの地域的覇権は致命的な危機を迎えることでしょう。中東におけるアメリカの覇権の動揺は油価上昇の原因となり、中心部における恐慌を深化させるでしょう。
中東における革命的な雰囲気は、欧州連合の総人口の約4~5%を成し、そのほとんどが下層に属する中東出身の移住民たちをも急進化させ、ヨーロッパの変革運動の重要な味方となる可能性も小さくありません。ベネズエラにおける「平和的な革命」、ボリビアなどの南米諸国における急進的な政権の樹立、ブラジルにおける社民主義的政権の樹立などにより南米での影響力を急速に失いつつあり、ほとんど属地に等しいメキシコでさえ現親米政権の「麻薬との戦争」の失敗と致命的な危機を目撃せざるをえないアメリカ帝国が、これで中東まで失ってしまうようなことになれば、まさに「帝国の黄昏」でしょう。「帝国の黄昏」は必ずしも階級的な解放にそのまま直結するわけではありませんが、世界の労動階級の最悪の敵であるアメリカ帝国主義の危機は確かに万国社会主義者たちには福音のように嬉しい知らせと言えるでしょう。
なぜチュニジアとエジプトから準周辺部の「内破」が始まったのでしょうか。もちろん、一般的には「貧富の格差」が先ず挙げられるでしょうし、それも必ずしも間違った解釈ではありませんが、階級的な不平等だけでは説明しきれない部分もあります。敢えてジニ係数で比較すると、エジプト(0.34)はロシア(0.39)やアメリカ(0.40)、中国(0.46)などよりはましな不平等社会ということになっております。南米などは、ほとんどすべての国々が統計上はエジプトより不平等度が深刻です。ムバラクの独裁は「開発独裁」とは程遠いものであり、エジプトの「開発」は主に軽工業と一部の重工業の発展に止まっていたのですが、最近の新自由主義の悪影響で工業の進展がほとんど鈍化してしまったことも一つの説明ですが、それでもそのことだけですべてを説明することは困難です。観光産業や通信業などのそれなりの善戦により、エジプトは最近の恐慌にもかかわらず年4~5%の成長率を維持しており、エジプトの財閥たちは海外への拡張もかなり成功的に試みてきました。知る人は皆知っていますが、平壌で「高麗リンク」という現地合弁会社を通じて携帯電話サービスを提供しているオラスコムという世界的通信企業はまさにエジプトの企業です。余談ですが、南韓の支配者たちがもう少し利口で長期的なビジョンを持っていたら、彼らはもしかすると今のオラスコムの代わりにこの仕事をしながら多少の利潤を上げていたかもしれません。まあ、植民地根性を断ち切れない商売人たちに、そのような遠大な抱負が抱けるでしょうか。とにかく、エジプトは「開発独裁」ではありませんが、「開発失敗」のケースでもまったくありません。チュニジアも同じです。それでは、何故この国々からアラブ圏の親米政権「内破」過程が始まったのでしょうか。
ここでは少し理論的なアプローチが必要です。20世紀以降の世界体制の周辺部における民衆運動は、おおよそ二つの課題を同時に行ってきました。一つは反帝の課題、すなわち周辺部に侵略し掌握してきた帝国主義に対する退治運動であり、もう一つは階級解放の課題、すなわち殺人的な不平等と参政権の剥奪状態からの自己解放です。植民地では前者を普通「民族的な課題」と言います。植民地朝鮮における共産主義者たちは民族主義は原理上排撃したものの、一応社会主義革命の前提として朝鮮解放と独立争取、すなわち「民族的課題の解決」を主張しました。一方、21世紀初頭の周辺部/準周辺部の世界を鳥瞰すれば、この二つの課題の解決の程度は地域ごとに、国ごとにあまりにも異なります。たとえば、中国などは少なくとも反帝の課題は非常に成功的に解決したと言えるでしょう。南韓の保守主義者たちは朝鮮戦争への参戦を今も肯定している温家宝首相などの中国の指導部を非難しておりますが、これはアメリカ帝国とのわりに成功的な武装対決が反帝課題の解決にどれほど重要な役割を果たし得たかを知らずにする非難です。大きな犠牲を払ってまで血盟北朝鮮を守ることにより、中国はアメリカ帝国の影響圏から完全に離れ独立的な世界的政治勢力を築き上げたわけです。同じように、インドだけを取っても冷戦時代にソ連とアメリカの間で独立的な「二股」実利外交を展開するほど、反帝課題がそれなりに解決されました。南韓の場合は、アメリカの軍事的保護領として残されているだけに反帝課題は常に未解決のままであり、この事実は常に南韓政権の正当性を脅かし続けることでしょう。ところが、たとえば中国は階級解放の課題の遂行水準はその方向を目指していた(必ずしも成功的だったとはいえませんが)毛沢東時代に比べ、現在は著しく落ちているとはいえ、反帝課題解決の程度が高いだけに共産党政権は未だに比較的に丈夫です。もちろん、今のように格差社会が急速に進行すれば未来を予測することはできませんが。
ならば、エジプトなどの問題はどこにあるのでしょうか。ナセル政権時代は反帝課題解決への試みはあったものの、結局 挫折しイスラエルとの屈辱的な「平和」とムバラク親米独裁の強固化は、事実上一種の植民地化を意味するものでした。同じように、チュニジアの支配層は反フランス解放闘争の経歴もありませんし、事実上フランスの至大な影響下に置かれてきました。反帝課題が未解決のままである限り、両政権はなんらの正当性も確立できません。民衆の立場からは単なる外勢に頼っている泥棒たちにすぎないのです。と同時に、最近の新自由主義的な措置などは最後の再分配の正義さえも踏みにじってしまい、政権の権威を完全に崩してしまいました。今のエジプトの民衆にとり、ムバラクは単なるアメリカからの援助を毟り取り税金を盗む悪質な泥棒にすぎません。植民性は政権のアキレス腱だったのです。今後同じ性格のイエメンなどの政権が似たような運命に処する可能性は非常に濃厚です。アメリカ帝国の奴僕を熱烈に自任する南韓の支配者たちはこれらを見て何かを学ぶことなど果たしてできるでしょうか。彼らの政治力がそこまであるかは甚だ疑問です。
原文: 訳GF