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福祉国家で子供を産むということは…パク・ノジャ教授‘得女記’

原文入力:2011-01-07午前11:48:08(3523字)
月給80% 有給休暇56週…検診・出産・産後処理 全て無料
税金きちんと徴収し4大河川殺しでなく基礎福祉に回すべき

←パク・ノジャ オスロ大教授

 ノルウェー、オスロ大学に在職中のパク・ノジャ教授が得女記(訳注:娘が生まれた手記)を送ってきました。私的な文と見ることもできますが出生率低下で低出産対策に頭を痛めている我が国の現実でどんな政策が必要なのかを考えさせる内容が少なくないので紹介します。
 2011年1月3日朝、吹雪が降りしきる中で私たちの家族は待ちに待った末に "紗羅"  (沙羅、Sarah,Сарра)という名前の娘を得ました。紗羅が生まれる前まで、私が苦しむ愛妻を一心に見つめながら高声に知っているすべての仏と菩薩たちの名前を呼びましたが、紗羅が血まみれで世の中に出てきたとたんに、なぜか万事休矣のような感じがして窓の外を見ることができました。 その時の逆巻く吹雪を、死ぬ時まで忘れないでしょう。

 子供の誕生ということを大概は慶事として祝う風習がありますが、これが果たしてどの程度道理にかなっているかは分かりません。生老病死とは本来から苦海であるのに加え、今崩れ落ちながらいつ世界戦争が広がるかも知れない後期資本主義は、その胎生的存在の苦痛をより一層増加させるためです。世の中に下からの本質的変革が起きない以上、紗羅が生きていく世界は枯渇しゆく資源を巡り互いに覇権争いを行う列強たちの世界、環境破壊が本格化する世界、資本が国際化するほど労働が持続的に不安になる世界でしょう。世界がこのようになって行くことに対して、私を含めて既成世代の責任が重いです。ところで子供の誕生は必ずしも慶事とばかりは言えないにしても、人生の分岐点のようにとても特別なことには違いありません。それで、我が家のママがオスロにきて紗羅の出産を助ける間に若干の忙中閑を得た私は、紗羅の誕生に前後して私たちがどんな経験をしたのかを描写してみようと、この文を残します。私の個人の体験と記憶を社会化することは積善の方便であるのに加え、私どもの個人経験を通じて福祉国家の効能が垣間見え、この手記が遠く韓半島南側の進歩闘争に役立つことができそうだからです。

 妊娠が確認されてからは、妻は私どもの地域の保健所(helsestasjon)に登録され定期的に検診を受けエコーを撮ったりしました。もちろん、これに私どもの個人費用は一銭もかかりませんでした。予想出産日に先立ち3週前に音楽教師である妻は学校から有給休暇を得て、その時から完全に出産準備だけに専念し始めました。概してノルウェーの法では出産関連有給休暇は46週ぐらいです。もし月給の80%だけで満足するなら56週に増やすこともできます。その内、10週は父親がとらなければならないのですが、いつとるかは夫婦間の合意によって本人が適宜決めます。渡しの場合はおそらく今年の9月から取ろうと今 計画しています。どうせ子供が生まれれば職場で無条件に "福祉休暇" という名前で2週間の有給休暇を追加でくれますので、今の差し迫った仕事はそれで十分に片付けることが出来るからです。妻の場合には出産以前の3週と出産以後の6週は義務的(必須的)出産休暇に属し、それを相応の時に取る義務があるのです。残りの27週は本人が適当に期間を定めてとるわけです。私の妻の場合にはすぐ春学期にとることもできますが、本人の意向で若干後に取る事もでき、また、50%の時間だけ仕事をしながら、その休暇期間を2倍に増やすこともできます。とにかく、本人がその気になれば出産3週前からは職場などを全て忘れてほとんど8ヶ月間、子供のことだけに専念してもかまわないということでしょう。月給をそのまま受け取り本来の職場に当然戻ることができる上での話です。従って私どもが知っている現地人夫婦の大部分は子供を2-3人ずつ育て、子供を育てる楽しみを人生の最高の楽しみにしています。

 出産が差し迫ると私と妻は私どもが暮らしているピャルム郡(オスロ近郊の衛星都市です)の中央総合病院へ向かい、そちら側の出産科で私どもの部屋を配分されました。こちらでは絶対多数の男性配偶者が女性の出産過程で必ず一緒にいて色々とお手伝いをするのです。その出産科では男性配偶者にまで食事などが提供されるのはもちろんで、小さな図書室までみな備わっていました。出産を準備しながら文化生活をするためです。私どもは担当看護師と担当医師も割り当てられましたが、看護師は医師より年齢も経験も豊富な方でした。独特なのは、名札に記されている職級名がなかったとすれば私はその二人のうち、誰が医師で誰が看護師なのか恐らく分からなかったでしょう。お互いの対応は徹底して平等で、むしろ医師が経験豊富な看護師にあれこれ尋ねながら自分の任された仕事を処理していました。私の妻にも命令するというより、「お腹に力を入れるといいですよ」「どうか最後の数分我慢して下さい」という風に提案や要請をされました。最後の出産過程で特別何の役にも立たない私は、妻のうめき声を聞きながら、ただその産室の隈で「オムマニバドゥメフム」「南無阿弥陀仏」のような文句を詠じたりもしましたが、通声念仏しても一度も医療スタッフの制止を受けませんでした。経験がないので分かりませんが果たして大韓民国の産婦人科でそのようにしたらどうなったろうかと思います。

 子供がやっと出てきた後、妻が休息期に入り約一時間が過ぎ私ども二人には食事が提供されました。テーブルにノルウェー国旗が刺さっていたのは私としては国民主義的儀礼の一種であまり良いとは思えませんでしが、そのとても大変だった出産過程で医療スタッフが見せてくれた親切には大いに感服しました。出産過程が終わった後、私ども二人は同じ病院の他の階の産後処理科(barselavdeling)の家族室に移されました。そこには通常二日から四日まで過ごすことになっているのですが、そこですることは授乳訓練から産婦と新生児の血液検査、黄疸感染検査などです。やはり担当看護師が配分され、いつでも授乳技術の問題とか粉ミルクを最も効果的に作る方法等々を一対一で相談することができ本当に初歩者の両親には“生存訓練”に近いものです。食べ物は一日に4回出て来ますが、たいていパンなど粉食中心で韓国人の嗜好にはあまり合わないものの、産婦に必要な栄養などがよく調節されているようです。配食所に出て行くとたいてい会う人は同じ男性でした。訊けば産後処理科の家族室で男性配偶者が産婦と最後まで一緒にいるのは、ここでは万人の通常的慣習だということでした。産後処理科で会う産婦たちはもちろんとても疲れているように見えましたが、顔に見られるものは無限の余裕でした。彼女たちが出産という人生の頂上に上がり、その登山を楽しみ、四方を余裕をもって見回しているような感じでした。もちろん出産科も産後処理科も全て無料だということでしょう。病院に往来するために使ったタクシー料金まで、社会福祉事務室(NAV)で一部補償を受けられるほどです。

 ここで必須の但し書を付けます。私はノルウェーの社会制度を無条件に称賛するつもりはありません。ノルウェーも世界資本主義体制の一部分であり、ノルウェーの人々が自動車代りに楽しく乗る自転車を作る中国の労働者たちにはノルウェーの豊かな福祉制度の話は絵に描いたモチに過ぎません。それはそれとしても、企業、富者が税金はきちんと払い、その税金を4大河川殺しや北韓の同胞を殺すための武器の買い占めには使わず、民衆の基礎的な福祉に使うならばこのように苦しい筈の出産もある程度まで楽しく余裕あるものにできるのです。この余裕は階級闘争で自ら成果を勝ち取った労働者たちができるのです。ところが階級闘争で勝つどころか、自分たちと搾取者を“同じ船に乗っている同じ大韓民国の国民”と勘違いしている労働者に戻ってくることは永遠の不安だけでしょう。福祉と余裕というものは、支配者から“下賜”されるのではなく戦いとるものでしょう。ところで敵の怪獣を“最も尊敬する企業家”と思って過ごすなら、果たしてそのような戦いが可能でしょうか?
文/パク・ノジャ オスロ大教授

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/457690.html 訳J.S