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金正日が吉林に行った理由は

原文入力:2010-09-03午後06:02:58(1527字)

ハン・スンドン記者

ハン・スンドンの東西横断/
ジミー・カーター前米国大統領を平壌に呼んで置きながら中国、吉林に発ってしまった金正日北韓国防委員長の歩みが妙だ。16年前、今と似かよった状況で平壌に行ったカーターは、北韓-米国関係を含む東アジア情勢全般をひっくり返す起爆剤の役割をした。その時、韓半島は戦争一歩直前の状況に至っていた。

 "韓半島で戦争が起きれば最初の90日間で米軍5万2千人、韓国軍49万人の死傷者が生じ,北韓側も民間人を含めて大量の死傷者が発生する。財政支出も610億ドルを越える」という米国の具体的‘戦争費用見積書’まで作成された。当時、ゲリーラック駐韓米軍司令官は予測した。「韓半島のような人口密集型都市環境で現代兵器が大挙動員された全面戦争が起きる場合、死亡者は100万人を越えることになる。米国人も8万~10万人が命を失う。米国が負担しなければならない費用は1千億ドルを越える。韓国、北韓と周辺国の財産破壊、経済活動中断などにともなう損失は1兆ドルを越える。」(今の状況ならば損失規模はその数倍になりうる)

それでもワシントンのタカ派と韓国内の同調勢力はカーターの北韓訪問をはなはだ快く思わなかった。彼らは戦争を願っていた。カーターの北韓訪問、金日成との会談はあらゆる事を一挙に変えてしまった。ジュネーブ北核基本合意につながったカーターの北韓訪問効果は後に続く米国中間選挙での共和党勝利でよじれ始めたが、北はその時 明確に米国との関係改善側にあらゆる事を進めた。

皮肉にもオバマの民主党が米国政府与党となった時期に、金正日の北は去る16年間のそのような流れに終止符を打ち、もう一度 国の命運をかけた大転換を試みているようだ。16年前に北は韓・ソ修交と韓・中修交で孤立無援の危機の中で米国にぶらさがった。しかし、以後16年間、米国が主導する南側勢力との取り引き総決算は致命的なマイナスに帰結し、そこでこれ以上は希望を見つけられなくなった。そして3月の天安艦事態以後、露骨化した韓・米・日三角同盟体制強化と新しい戦争危機状況で北は方向を定めてしまったようだ。カーターを平壌に呼び、自身は吉林に発ってしまった金正日の歩みはおそらく計算されたものであり、それは彼の選択がこれ以上 米国と南方ではなく、中国と北方だということを内外に宣言するビッグイベントではないだろうか。南方の資本・技術ではなく、これからは強くなった北方の資本・技術と提携するという金の選択は将来、北・中・ロ3角境界地域として具体化されることであり、彼が北京や大連ではなく、あえて吉林、長春に行ったのも それを示したかったためではないか。

南側の官吏たちは平壌空港のカーター出迎え官吏がキム・ケグァン外務省副相程度の左官級に過ぎないとし、それでなくとも快く思わなかったカーターの北韓訪問が惨めになったと苦笑しようが、彼らの短見こそが嘲弄の種に転落するかもしれない。彼らが夢見る世の中は、陸上自衛隊の一部を水陸両用の米海兵隊式部隊に変え、既存の専守防衛原則を‘力には力’式の米軍代替軍事力育成への転換を模索している日本と手を握り、米国の核の傘の下で北を荒々しく追い詰める、南・北方2つの三角同盟が韓半島の真中を境界として鋭く対立する新しい冷戦の世界なのか。金の選択はその当然の帰結なのか。

ハン・スンドン先任記者 sdhan@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/438173.html 訳J.S