原文入力:2010-06-23午後09:35:03(1828字)
キム・ドヒョン記者
←キム・ドヒョン文化部門編集長
@aip209。去る12日に始めた私のツイッターIDだ。
"関心分野は韓国社会の疎通構造、日本とジャズ" という短い自己紹介文をこの不思議な空間に上げた後、一日にも何回か行き来する。23日朝、韓国の初遠征16強が確定した後 "16強 行き 祝賀!祝賀!" と無駄口をたたきもした。
ツイッター開始以後、今まで "日本チーム初勝利祝賀! 韓国と共に16強 行こう!" "チョン・デセの涙 その表情、何を感じるか" 等、ワールドカップ感想文を中心に13ヶの文を載せた。しかし、フォロワー(追従者)は数日間で4人に留まっている。その上、文化部記者3人と会社同期 1人など同僚 4人だ。ツイッター本来の機能が知らない人との関係を結ぶことだとすれば何かが不足したわけだ。
"これはなんだ" と内心ぶつぶつ言いながらも未だツイッターの海でもがく自分を発見する。齢50で見慣れない世の中に挑戦したという感心さのようなものがまだある。何日か前から妻に携帯電話文字を送り始めたが、意外に反応が良いのはツイッター質問のせいでもある。
ツイッターに挑戦しようという考えは<ハンギョレ>文化部ク・ボンジュン記者のおかげだ。ハンギョレ パワーブロガーの1人であるク記者は昨年初めからツイッターを始め1000人を越えるフォロワーを保有している。建築と漫画など自身の関心取材分野に関し熱心にツイッターをしながら取材源はもちろん多くの見知らぬ人々と疎通する彼の姿を見て率直に言ってうらやましかった。
ツイッターをしながら一番思うのは、私のツイッターに参加した相手を通じて他の人に出会うことではないかと思われる。例えば<ハンギョレ>文化部ナム・チウン記者が‘フォローイング’という日本の小説家 村上春樹のツイッターをのぞく面白味のようなものだ。"空が良い。いつ見ても飽きないし、見たくなければ見なくても良い。" (6月11日)彼のツイッターフォロワー 6万人中に相当数の韓国人を発見し、新たに韓国内の村上パワーを感じた。
韓国の作家イ・ウェスは村上より3倍以上多いフォロワーを保有する代表的パワーツイッタリオンだ。今日明け方、ナイジェリア戦競技19分前「太極戦士らよ、大韓民国の名誉を担い、憤然と立ち上がれ」という文を載せた彼は、競技後に直ちに「熱心に戦った太極戦士らに掌がへこむほどの拍手を送ります」とメッセージを送った。確認してみるとフォロワー数百人の返答文がついた。
韓国でツイッター世界は個人間の疎通を越え集団的コミュニケーションの場に浮上した。集団的投票参加運動の強力な手段として6・2地方選挙の異変に寄与したツイッターは今回のワールドカップを通じて韓国でより一層の威力を轟かせている。人々が熱心に携帯電話やコンピュータ キーボードを叩きツイッターで直ちに興奮と感激を分かち合ったのは2002年、2006年ワールドカップの時とは違った韓国の応援風景だ。
しかし、私はまだどのようにツイッターをすればいいのか分からない。140字以内の短い文で私がしたい話を伝えられるかもわからない。自身を明らかにして表現することに慣れている20~30代の軽快さについて行くことに率直に言って手にあまるものを感じる。会社のある先輩はそのためにツイッターをするべきかどうか迷っていると言った。最近<ハンギョレ>のマガジン‘ESC’で小説家 イ・ギホ氏がツイッターの属性を指摘した内容が印象に残った。
ツイッターは「私たちを俗物にしながら、また、一方で俗物という事実をうまく隠す媒体」だというのが彼の診断だ。彼の話のとおり、他人の評価にこだわり認められたいという俗物根性を認めないわけにはいかないのが初歩ツイッター利用者の告白だ。ところで俗物だったらどうだと言うのか。理念、世代間葛藤がどこの国より露骨な韓国で、ツイッターが疎通の媒体の役割をすることができるならば。そのためにも自分から他人を認めて返答文を熱心に書こうと誓う。
キム・ドヒョン文化部門編集長 aip209@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/427220.html 訳J.S