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[時論] 4月に歌う歌/キム・ドンチュン

原文入力:2010-04-18午後08:42:40(1398字)

←キム・ドンチュン聖公会大社会科学部教授

"威嚇空砲を撃っても良いと言われて、むやみに無差別射撃をし、中学生が銃に撃たれ倒れたのを見て飛び出し助けようとした人にまで銃を撃った。" "消防車を停車させることもせず、一列に並び立ち一斉射撃を行い、あたかも前線で共産軍に向かって撃つような光景だった。"

李承晩政権に抵抗する国民は‘敵’であり鎮圧討伐の対象だった。ところで、こうした風景は突然に現れたものではなく、1948年の建国以後ずっと続いたことであり、その先鋒には常に日帝植民統治の走狗の役割を果たした警察と右翼暴力勢力がいた。済州4・3事件,麗水順天事件,戦争勃発直後の国民保導連盟事件,反逆者犠牲事件など、その苛酷な日帝植民統治にも運よく生き残り、解放された祖国の自由な空気を味わおうとした国民 数十万人が、李承晩政権下で左翼,パルチザン,反政府者にされ殺害され拷問され満身瘡痍となった。国家保安法は闇討ちで通過し、野党国会議員は捜査査察機関の脅迫を受け、大統領候補であったチョ・ボンアムはスパイの疑惑を受け刑場の露と消え、司法府は政権に屈従し、批判新聞は強制廃刊され、選挙の度に公務員が政権の手足となった。良心と正義感を持っていた国民が体験した苦痛は、日帝植民治下でもこれほど激しくなかった。

そのような暗黒天地で幼い生徒たちが立ち上がり、キム・スヨン詩人が詠ったように「全国の小学校というすべての小学校で、そして幼稚園で、善良な民たちが天のように祀っていた" 大統領の写真を引き剥がしたことはほとんど奇跡に近いことだった。4月革命はソン・ゴンホが語ったように既成世代、すなわち‘利’の世代を恥ずかしくさせた義の世代の登場を知らせる巨大な信号弾だった。4月革命で私たち国民が得たものは、李承晩の下野ではなく、国民の力で独裁権力を押し倒すことができるという自信であり、血を流さずには そして直接行動せずには民主主義を得ることができないという途方もない教訓だった。それは国家を真の民主国家,国民の国家,人権国家に作ることができる精神的資産だった。だから4月革命は暴力国家,不法国家,親日派国家,警察国家,ペテン国家を自由と民主の精神が生きている国民の国家に作る礎石となった。

ところで5・16と軍部勢力は、手続きよりは目的が、正義よりはパンが重要だと教えた。‘六法全書’を丹念に覚えた人々は5・16自体の違法と不法に目を瞑り‘革命裁判所’の要員に抜擢されたことを光栄に思った。利の世代は消えたのではなく、すべての社会を利害関係が支配する世の中に作りあげる先頭に立った。その後20年間、一方では軍隊がデモ隊鎮圧を行い、他方では財閥企業が国民を‘買収’しながら世の中を支配した。

4月革命が未完の革命という話は‘内臓が干からびた’人々が、世の中を変化させる主体として立ち上がることができなかったという話だろう。腹が空いた国民が、買収されることを拒否し鎮圧にも抵抗し自由の歌を合唱する時、4月革命は完遂されるだろう。

キム・ドンチュン聖公会大社会科学部教授

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/416624.html 訳J.S