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[新年社説]人が生きる世の中, 歴史の前で再びその道を問う

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/396651.html

原文入力:2010-01-01午前09:40:45

新年初日、すべての ‘私’ の標高は高い。腕木をかませなくとも飛翔する鳥の目の高さより更に高い。過ぎた時間を反すうし近づく時間の終わりを計り、希望と抱負を確かめるからだ。庚寅の新年初日、私たちが踏んでいる標高はより一層高くなる。また歴史の分岐点に立たされているからだ。山と水とが分かれるように、民権の前進と退行を分ける分岐点だ。

私たちの視線が進む時間より過ぎた時間を先に凝視するのは慎重さのためではない。金大中前大統領が発した昨年の追い詰められた呼び掛けのように、塀に向かって悪口でもしなければならない程状況は病が重く切迫しているためだ。それでも危機の内容は歴史の峠ごとに外観だけは新たにして繰返し出現しているだけで新しいものではない。したがって歴史的省察の中にその克服の鍵を探すことができると信じる。

日帝強制占領100年など過去を省察する時

よく、去る20世紀を暴力と野蛮の時代と規定する。二度の世界大戦は地球的次元の破壊と大量虐殺の時代を開き、それに続いた冷戦と覇権戦争そして局地戦はやはり虐殺と人種清掃を地球村の隅々にまで広げた。その野蛮と暴力の劇的な舞台はまさに韓半島であった。植民体制の収奪と抑圧(国恥100周年),6・25韓国戦争と虐殺(60周年),独裁と人権じゅうりんなど想像できるすべての暴力が強行された。

併呑は単に収奪と抑圧にとどまるものではなかった。解放後の半島の分断と社会分裂そして抑圧体制の根本原因となった。外勢に依存した不完全な解放は分断につながり、親日と抗日の対決は理念対決の外皮をまとったまま解放空間で大規模虐殺と同族間の争いにつながった。以後、親日勢力は分離体制の固定化を通じ既得権の維持拡大を追求し、度重なる独裁体制の誕生はその結果であった。分断と独裁は兵営社会を強要し、民主主義と人権をじゅうりんした。

もちろん野蛮の歴史だけがあったわけではない。抵抗と勝利の歴史もまた聳え立った。日帝下での民衆の抗争や解放後の独裁体制に対する闘争は世界史で類例を探してみるのが難しいほど粘り強かった。4・19民主革命(50周年)と5・18光州抗争(30周年)そして6・10民主抗争はその金字塔だった。民主政府はその中で誕生し、6・15南北共同宣言(10周年)を産んだ。
しかし今、旧時代の亡霊がそろって復活している。人が生きる世の中を夢見た前職大統領の自害と龍山惨事とは象徴的生贄だった。地球的金融危機とともに終焉を告げたものの、わが国社会では新自由主義の亡霊は相変らず猛威を振るい、民生を崖っぷちに追いやっている。社会・経済的両極化の中で葛藤と対立は階層・地域・世代間に広がり共同体の根幹を揺るがす。分断固定化の亡霊も復活し、再び韓半島の平和を威嚇し開発独裁の亡霊は民主主義と人権を傷つけている。

正しい実践を通じて未来に‘前進’

民権はただでは与えられない。人の生きる世の中もまた自ずからはなされない。キム・スヨン詩人が話したように、自由には血の臭いが混ざっているということであり、民権の発展には間違いなく血と涙と汗が伴う。市民の覚醒された意識と積極的な参加だけが、民権の前進と人が生きる世の中を実現しうる。破片化された進歩・民主勢力の全面的な反省と連帯もまた切実だ。今年の地方自治体選挙はその試験台となるだろう。

歴史はゆるやかに流れるが、その中の人々がどんな考えと行動をするかにより方向と質を異にするので私たちの心は軽くない。君と私の正しい実践が集まり私たち皆の人生の領域を拡張し、共同体を豊かにしつつ民族史を進展させるだろう。<ハンギョレ>はひたすら真実報道で亡霊の虚像を顕わにし民権の発展に尽くすことを再度約束する。

原文: 訳J.S