原文入力:2009-12-29午後10:27:32
社会福祉共同募金会が主管する ‘希望2010 分かち合いキャンペーン’ 募金額が昨日までに1409億ウォン余りだった。昨年同期より42億ウォン減った。特に企業の多額の寄付金のほか、自動応答電話を通じた個人の寄付件数が大きく減ったという。昨年の70%水準だ。家庭経済が相変らず萎縮しているためでもあるが、私たちの心があまり開かれなかった側面もあると言えよう。
こうした中、全北全州の‘顔なき天使’ が今年もきちんと現れて歳末の凍りつくからだと心を溶かしてくれた。2000年に初めて老松洞住民センターに匿名で寄付を伝えたこの寄付者は一昨日8026万5920ウォンを寄付した。これまでどおり “町役場の後のクリーニング屋近所の段ボール箱を確認してみなさい” という言葉だけを残して消えたという。昨年まで彼は主に年末に1,2回ずつ ‘苦しい隣人のために使ってくれ’ として8109万ウォンを寄付してきた。
顔を出そうが出すまいが寄付は美しい。しかしこのように10年間一様に匿名で寄付するというのは特別だ。感動を越え畏敬感まで与える。その難しさを良く知っているのでイエス様や仏様は左手がすることを右手が知らないように施せと言ったし、また善行をするという心さえ出さずに施せとも仰った。
彼が伝えたお金には共通点があるという。5万ウォンなどの高額券の束もあるが、10ウォン,50ウォン,100ウォン,500ウォンのコインが入った豚の貯金箱も一緒にあったということだ。一年間ずっとお昼一食を食べる時や物一つを買う時にも、さらに苦しい隣人を考え惜しんで惜しんで貯めたことを知らせる跡だ。財産が多いからではなく難しい中でも隣を考えるその心が胸をジーンとさせる。その上、今年は「うちの母親も使わないで惜しんで貯めたお金です」という言葉まで残したという。遺産までも喜んで寄付したのだろうか。
成功至上主義の中で、私たちの社会はますます世知辛くなっている。その上に老松洞の顔なき天使のような人がいるのに、私たちは隣人と共同体に信頼を置いていない。
原文: 訳J.S