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[ホン・セファ コラム]民主-反民主対立構図と今日

原文入力:2009-12-22午後09:23:56

ホン・セファ記者

←ホン・セファ企画委員

現執権勢力が‘失われた10年’を口にした時、私たちはその本当の意味をきちんと識別することができなかったのでないか? その10年が60年の民主共和国の歴史で民主勢力が政治部門で主導権を持ったいわゆる‘民主化された時代’を言うならば、今日執権した勢力の‘失われた10年’発言はまた反民主勢力の時代に戻ったという宣言であったということをだ。もしそうなら、民主-反民主の対立構図は現在も堂々と生きているのに、民主勢力は井の中の蛙となって民主-反民主対立構図から自ら抜け出し武装解除したことになる。

実際、過去の権威主義政権時期と李明博政権の間には拷問という反人権国家暴力行為の有無の他にはほとんど差がない。もちろん日常的に行われた拷問が消えたという点は民主主義の大きな進展であることに間違いない。しかし、それだけだ。検察・警察をはじめと公権力を総力動員し、頑として押し通す一方主義統治方式は、過去の権威主義政権と違わない。むしろ、龍山惨事,4大河川事業ゴリ押し,言論関連法ゴリ押し,世宗市逆転,全教組・公務員労組など民主労総つぶし,批判・反対勢力に対する徹底した排除など、度重なる反民主的統治行為は一方で市民社会が民主-反民主の対立構図から自ら抜け出したために大きな抵抗なしに貫徹されていると言うことができる。過去の時期ならば少なくとも大学生たちの強力な抵抗があった筈であり、労働界の抵抗もまた民主化運動の一環と受け入れられ市民社会の連帯を得ることができただろう。

日帝賦役勢力をきちんと清算できない韓国社会で、私益だけを追求する既得権勢力は格段に強固になってきた。彼らは政治部門だけで10年間にわたり主導権を喪失しただけで、経済,行政,司法,国防,言論,教育,地域などすべての部門で主導権を失ったことはない。民主政権であればこれらの部門の民主化を主な課題としてこそ適切だ。ところが執権に自己満足したりもしたが守旧勢力の力があまりにも強いことも作用したのだろう。2度成立した民主政権は彼らに対抗し社会部門を民主化しようと努力し、正面突破を試みる代わりに新自由主義を採択しこれを迂回したり縫合することに終始した。たとえば金大中政権は自ら許しを請わなかった全斗煥・盧泰愚を赦免することにより歴史の教えを断ち、盧武鉉政権は一部保守新聞と戦ったりもしたが市場に権力を渡すことを避けられなかった。

この過程で民主-反民主の構図は薄められた。ところが反民主守旧勢力が弱くなったわけでは全然ない。その結果として今日私たちが体験しているのが手のつけられない状態の李明博政権であり、暮れゆく2009年が少なくない市民に絶望と無気力の年として残る背景だ。

正義なき力は暴力を産み、無力な正義は無責任なスローガンに終わる。今、我々が新自由主義に真っ向から戦わなければならないと語るのは窮極的に百回正しいが、とても安易な主張だ。私たちにはまだそのような力量自体が不足していると言ってこそ正しいのではないか。その力量を育て土台を用意するためにも、先に民主-反民主対立構図を再確立しなければならないのではないか。

狂信者どもが熱誠をふりまき上手く結集するように、極端主義者らと私益を追求する集団は熱誠的であり上手く結集する。今日、自ら民主を標ぼうする勢力ならば少なくとも‘連合’を積極的に模索し実践しなければならない。そうでないならば民主の資格がないと言わなければならない程に大変な時という点を、地方選挙のある2010年が私たちに語っている。

ホン・セファ企画委員hongsh@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/394918.html 訳J.S