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[パク・ノジャ コラム]不滅の単語‘社会主義’

原文入力:2009-12-07午後09:36:39

←パク・ノジャ ノルウェー,オスロ国立大教授・韓国学

今秋は東ヨーロッパで忙しかった。ベルリンの壁崩壊,‘東ヨーロッパ解放’ 20周年であり記念行事が列をなした。これら行事で反映されたイデオロギーはその両極端的単純さという意味でほとんど過去のスターリン主義を彷彿させるほどだった。‘現実社会主義’は‘暗黒’と叙述される反面、1989年以後の時期は‘自由と繁栄’と語られもした。‘自由’に対する修辞があまりに絶対的語法なので、リトアニアやポーランドなど‘解放された’国内の一部は最近、赤色五角星など‘共産主義的象徴物’を厳禁するに至った。槌と鎌が描かれた服を着て監獄行にあわなければならない社会ならば‘解放’よりはむしろジョージ・オーウェルの<1984>を思い出させるが、崩れた‘現実社会主義’に対する東ヨーロッパ支配者らの必死のあがき的態度は事実彼らの深い不安感を示している。過剰借入と無分別な外国投資を基盤とした去る10年間の東ヨーロッパの‘繁栄’がどれほど虚構的であったか、今回の世界恐慌でそのまま現れたためだ。

一時、スウェーデン資本の最も有望な投資先と見え、しかし今年の国民総生産が約20%に落ちると予想されるラトビアは、継続して集団抵抗行動で揺れている。去る数年間‘高成長’で広く知られたウクライナ経済は、今後また2003年水準に戻ると予想されており、賃金未払いと人員削減に対する労働者の抵抗だけが広がっている。政府が‘反共闘争’の先頭に立つポーランドでは、警察さえもデモに出るかと思えば、1980年代末に最初に資本化に出たハンガリーは債務不履行の危険が最も高い国の一つと見なされるに至った。‘現実社会主義’の没落とヨーロッパ連合の‘内部植民地’としての編入は、東ヨーロッパに‘繁栄’でなく従属性と慢性的な社会不安を持たらしたわけだ。これに対する不満はよく極右的排外主義の形態を帯びるが、最近の世界的資本の危機を目撃した相当数の東ヨーロッパ少壮派知識人と労働運動家などがもう一度‘社会主義’という話題を掲げることになった。五角星や槌と鎌などが若年層の一角で流行するや、支配者がこれを厳禁する全体主義的立法に出たというわけだ。

もちろん西ヨーロッパの組立工場であり、投資先,または売春街に転落した東ヨーロッパで新しく摸索される社会主義は、スターリン主義とは質的に異なる。‘前衛政党’は互いに同等な一線組織の横断的ネットワークに代替され、‘無産階級’の概念は、不安定階層(若年層・移民労働者など)等の色々な少数者に対する考慮により大幅拡張された。今や追求するものは‘無産階級の独裁’というよりは、一次的に住居と育児,教育,医療などが市場領域でなく公共領域になる社会,利潤でなく多数の福祉を目的に運営される民主的福祉社会だ。しかし闘争方式などがいくら変わっても、これら東ヨーロッパ少壮派社会主義者には赤色五角星が象徴する1917年10月革命は依然として希望の灯として残っている。20年前のスターリン主義の終末は結局、階級運動の死でなく新しい開始を意味したと見なければならない。

韓国財閥らの携帯電話や自動車が東ヨーロッパ市場を席巻したとしても、医療や教育費用などを考慮すれば、その部品を作る下請け工場の非正規職たちの暮らしは東ヨーロッパ労働者よりさらに辛いほどだ。西ヨーロッパへの移民でなければ人生に希望がない東ヨーロッパの若者たちも、一ヶ月の‘バイト’で辛うじて50万ウォンを手にする韓国の貧しい若者たちの絶望的な状況は、大きく見れば全く同じだ。結局、国内でも急激に膨張する疎外層の間で‘新しい社会主義’が話題として浮上するのは時間の問題ではないかと思う。

パク・ノジャ ノルウェー,オスロ国立大教授・韓国学

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/392001.html 訳J.S