原文入力:2009-08-24午後09:10:08
チョン・ギョンモ-漢江も流れ多摩川も流れる(81)
←今日、日本の人々が明治時代の先覚者として崇拝する人物である岡倉天心(左側)と旧5000円紙幣に載っていた新渡戸稲造の肖像(右側)。2人の英文書籍は西洋人たちに日本民族の優秀性と韓国人に対する偏見を植え付けることに大きな影響を及ぼした。
日本の人々が尊敬の対象としている明治時代の‘先覚者’の中でも欠かせない人物が岡倉天心(1862~1913)であるが、この人は日本の伝統的美術だけでなく西洋とは異なる日本的な東洋思想を流麗な英文で広く外国人らに紹介したという点で、特に尊敬と崇慕を受けている。岡倉が残した英文の著書中でも<茶に対する本>,<東洋の位相>,<日本の覚醒>は言ってみれば古典として高校生たちにまでほとんど必読書として推薦されている本だが、この中で私が問題にしようと思うのは1904年露日戦争前夜に米国で出版された<日本の覚醒>だ。この本で著者は日本と朝鮮の関係を次の通り説明しているのだ。
“朝鮮の始祖,檀君は日本の始祖,アマテラスの弟スサノオの息子であるだけでなく、朝鮮は日本の第14代天皇仲哀の皇后,神功が征討軍を派遣し三韓の土地を征服した3世紀以後8世紀に達する500年間、日本の支配下にあった固有の属州(original province)であった。したがって、日本が露日戦争で勝利をおさめ朝鮮を植民地として再支配すると言っても、それは侵略ではなく歴史的原状復帰に過ぎない。”
歴史に対するこういう‘該博な’知識に加えて美術の大家でもある岡倉は次のような話もしている。
“朝鮮の古墳から出る出土品らが日本古墳の出土品と双子のように似ていていることだけ見ても、日本が太古の昔からすでに朝鮮を支配していたということは明白な事実ではないか。”
これは偽史ですらない、とんでもない言葉遊びに過ぎないものだが、日本が朝鮮を支配するのは歴史の必然という思考を大統領以下の米国政府首脳部の頭の中に植え付けるには十分な論理であったのだ。
もう一つ、明治時代の先覚者として今日まで尊敬されている偶像が新渡戸稲造だが、この人もやはり流ちょうな英文で書かれた<武士道>(Bushido)という本を1905年に米国で出版することにより、洛陽ではなく華盛頓(ワシントン)の紙価を上げた日本の知識人だった。新渡戸の本は日本人がどれほど高邁で勇敢な武士道精神を受け継いだ優秀な民族かを説得力ある文章で叙述した本として、折しも露日戦争に突入した日本に対して好意的な世論を喚起することに決定的な寄与をしたという点で、今日を生きる私たちの歴史家らにも一読を薦めたい文書だ。この本には朝鮮民族に対して侮蔑的に言及された部分はなかった。しかし、新渡戸はその背後人物の一人が伊藤博文であり、統監部の嘱託として朝鮮各地を現地調査した後に次のような報告書を提出した。
“朝鮮人はその風貌や生活状態から見て、とうてい20世紀の人種とは見られない程に原始的であり、民族として生存の期限は終わっているようだ。今、朝鮮半島に垂れこめているのは死の陰だ。”(雑誌<三千里> 34号)
当時の米国大統領セオドア・ルーズベルトは新渡戸の著書に魅了されたあまり、数十冊もその本を購入し閣僚はもちろん政府各部署の官僚らに読めと配付したという事実も記録には残っているが、とにかく大統領ルーズベルト頭の中に「驚くべきマーシャル スピリット(武士道精神)で武装した優秀な日本民族」という概念と「自分自身の防衛のために指一つ動かせないバカ野郎のような朝鮮民族」という概念が同時進行的に浸透するに際して岡倉と新渡戸の影響がどれほど大きかったのか、この2人の影響が日本の国家利益にどれほど大変な貢献をしたのかは想像しても余りあり、何のために今日まで日本人がこの2人を偶像のように崇拝しているかも理解できるのではないか。
←チョン・ギョンモ在日統一運動家
米国の積極的支援の下、日本がロシアを打ち破り勝利をおさめる渦中に1905年9月ポーツマス条約の締結を数日後に控えたある日、ルーズベルト大統領は日本代表団の一員である金子健太郎をホワイトハウスに呼び昼食を共にした席で次のような言質を与えたのだ。
“カリブ海沿岸地域のキューバを米国が支配するように、黄海沿岸地域の朝鮮を日本が支配するのは当然だと米国は認める。”
チョン・ギョンモ在日統一運動家
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/372897.html 訳J.S