盧前大統領の突然な逝去は私たちの社会に深い衝撃と悲しみ、そして覚醒と変化を促す警鐘を鳴らした。彼の死を無駄にしてはならないという確約の声も津々浦々に鳴り響いた。だが50日近い期間が流れた今、現実を覗いて見れば失望するばかりだ。
政府・与党は盧前大統領の死以後、各界で洪水のようにあふれ出た声に微動だにせずいる。謝罪と反省をしろとの要求は聞く素振りもしなかった。国税庁税務調査から検察捜査に至るまでの全過程を綿密に点検し、再びこの地に政治報復が繰り返されないようにしろとの要求も握りつぶした。民主主義と人権の回復,疎通不在の解消など政権の根本的変化を促す時局宣言らも馬の耳に経を読むようなことであった。むしろ追慕熱気が多少弱くなる兆しを見せるや、公安統治の手綱をより一層強く引いている。盧前大統領の49日まで終わったので追慕政局から完全に脱出したと内心快哉を呼んでいるかも知れない。
政府・与党のこういう強固な壁の前で野党をはじめとする民主改革勢力の肩はさらに重くなるほかはない。怒りと絶望が深いほど、これを希望に転換させようとする努力はより一層ち密で細心でなくてはならない。盧前大統領追慕熱気にひたすら便乗したり、反射利益に安住する態度からは解決法が出てこない。盧武鉉前大統領と彼の執権期に対する静かな評価を通じて、しまうことと継承することとを厳格に選び出し未来を導いていく真の代案を探すことに力を注がなければならない。これを土台に ‘市民の力’ を幅広く結集し変化の動力を引き出さなければならない。盧大統領は永遠の安息に入ったが彼の意を賛える人々には決して侮れない課題が待っている。
原文: 訳J.S