財団はイ大統領が学生時代に困難の中で勉強した経験を踏まえ、高校生の授業料と小・中・高校生の食費などを支援する活動を行うという。イ大統領は‘財団法人 清渓の設立に際して’という文で「物質だけでなく心で互いに愛する社会を希望する」という意も明らかにした。イ大統領のこういう意思が私たちの社会の寄付文化を活性化する契機となることを切実に望む。韓国の富裕層は先進国に比べ、金を儲けることだけに没頭し社会貢献にはケチで‘noblesse oblige(指導層が持つ道徳的義務)’精神が不足するという指摘を受けてきた。
だが、今回の寄付は形式と内容の面で惜しく憂慮される点があることを率直に指摘せざるをえない。まず、すでにある財団に財産を喜んで寄付する方式ではなく、自分の名前の財団を設立する方式を選んだことは苦い後味を残す。寄付者が自ら財団を作る方式は私たちの社会では税金を払わずに財産を相続する手段としてしばしば悪用された。多くの財産家らが処分できなかったり処分する理由がない財産を出捐して公益財団を作った後、良いことをするという面目と共に税金恩恵を受け便法で財産権も行使する通路として活用してきた。イ大統領の財団もこういう誤解から自由にはなれない。財団理事陣に婿と親友,側近らを大挙布陣させたことはそのような憂慮を大きくする。将来財団運営にイ大統領がいちいち干渉することができるという意味にも写るようになったためだ。
財団が今後、イ大統領が出捐した財産だけで運営されるという確固たる原則を立てて守ることも重要だ。外部出捐可能性を残した瞬間、募金と関連した現職大統領の影響力行使論議を避けることはできない。良いことをしても運営を誤ると、しない方が良かったということになりかねない。
原文: 訳J.S