原文入力:2009-06-28午後09:18:23
鉄窓と壁には慣れたけれども
すべての書信が統制されて息がつまった
文章すら好きなように書くことのできない身の上
‘独裁’という修飾語が行き過ぎではない
6月に入りすべての書信が不許可同様になった。今まで具体的根拠は聞けずにいる。何日も悪夢にうなされる気持ちだ。鉄窓と壁はにもう慣れたが‘思想統制’の厚い壁にはとうてい適応できない。本当に息がつまる。
保安関連問題でないならば書信検閲はしないことが正しい。改正された法律も基本は無検閲を基調にしていると理解している。そして検閲を担当する主体の非専門性も問題だ。国家保安法は一度読んでみることもして押し付けるということなのか。違憲,違法的要素の多いものだ。
さらに大きな問題は、思想検閲がますます度を増しているという事実だ。16ヶ月の監獄暮らしの間、30編を越える文を送ったが最近になって突然不許可を乱発している。拘束生活自体が独裁政治の産物だが、しばらくのんびり過ごして新たに悟ることになる。手足を縛っておくのでは足りなくて、口まで源泉封鎖するという発想が真に拙劣に感じられる。
この前、キム・デジュン前大統領の‘独裁者’発言が政界のイシューに浮び上がった。いくつかの形式的手順を踏んだので‘独裁’という表現は行き過ぎだいう人々もいる。しかしイ・ミョンバク政府に独裁という表現は決して過ぎた修飾ではない。民主主義は相対的である。時代は発展を繰り返し民衆の民主意識もそれに合わせて進歩してきた。過ぎた日との単純比較で現政権の民主性を判断するのは明らかに問題がある。この国の民衆の民主化の目の高さで見る時、MBは歴代政権中最悪の独裁政権だと呼んでも遜色がない。
<ハンギョレ>読者の文の中に、進歩陣営の人々もチョ・カプジェのように主張をさっぱりしたら良いと思うという文を見た。共感できる内容だ。もっと勇敢にならなければならない。
2004年、彼らが盧武鉉大統領を弾劾した時を思い出してみよう。そして、この前の政治的他殺まで。正義と真理と進歩の価値が持つ重さに相応しくさらに勇敢に戦わなければならない。私たちの歴史上、今ほど多くの民衆が民主意識・自主意識を自覚し組織的に抗争を渇望したことはない。
文章さえも思いのままに書くことはできない境遇がとても苦しい。しかし、同時に監獄内外の別なく度を越した監視と検閲を見て、彼らの不安感と差し迫る勝利局面も同時に感じている。
ユン・ギジン国家保安法違反疑惑 収監
原文: 訳J.S