原文入力:2009-06-05午後09:58:27
イム・チェジン検察総長が盧武鉉前大統領を死に追い詰めた検察捜査に責任を負い昨日辞退した。彼は ‘辞退の弁’ を通じて「今回の捜査を総指揮した検察総長として心より国民に謝罪する」と明らかにした。自ら最善を尽くしたが力不足だったという話もした。
彼の誤りは明らかだ。節制と品格ある検察になるという当初の確約とは正反対に、彼の在任期間に検察は過去の権威主義政権の時のように政治的目的が濃厚な捜査に常に動員されたし、標的・過剰捜査もはばからなかった。無理な捜査による社会的反発と相次ぐ無罪宣告にも検察は恥じることを知らなかった。ロウソクのあかり捜査と公企業捜査などがそうであったし、特にパク・ヨンチャ事件捜査は検察の退行をそのまま表わした。検察が再び権力の道具に転落したという話まで聞く。この有り様に達するように検察を間違って導いた責任は一次的に彼にある。
それでも彼の辞退は他の人々に比べて引き立って見えたりもする。当然に負わなければならない責任さえ分からないフリをしている者が相変らず多いためだ。キム・ギョンハン法務部長官もその一人だ。彼はイ・ミョンバク政府スタート以後、検察を動員した強権統治を主導したという批判を受けている。検察に捜査指揮権を発動したことも数多いと言われる。朝鮮・中央・東亜日報広告不買運動に対する検察捜査もキム長官の指示で本格化した。パク・ヨンチャ事件でも事実上の捜査指揮者はキム長官というのが野党の主張だ。政治的背景が疑われる事件の度にこのような形で関与したとあっては検察組織を政治的に汚染させた責任を負って当然だ。
実際に標的捜査を導き被疑事実の公表と侮辱など越権と違法を犯した捜査チーム関係者たちも責任を避けようとしてはならない。事実、検察は不良捜査から恥じなければならない。チョン・シニル セジュンナモ旅行会長拘束令状棄却などは、生きている権力に対する捜査をあらましごまかした結果だ。それでも間違ったことは何かあるかといった態度を見せるならばお粗末としか言いようがない。
イ・ミョンバク政府は盧前大統領逝去を契機に強まった検察責任論がイム総長辞退程度で収拾がつくことを期待しているようだ。だが、そのように終われることではない。責任追及を越え検察の過度な権力を牽制する根本的刷新方案が要求されている状況だ。このような状況で責任すらまともに負えないならば、より大きな災いを避けることはできない。
原文: 訳J.S