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政権と癒着した‘殺人剣’ 許されない

原文入力:2009-06-02午後08:29:38
‘ノ・ムヒョン以後’ 残された課題

←チョ・グク ソウル大教授・法学

ノ・ムヒョン前大統領の悲劇的死の後、検察捜査に対する批判が高まっている。大統領の家族全員と側近に対する ‘ホコリはたき’式全方向・底引き網捜査,わいろ供与者の陳述のみに依存したまま盧前大統領の自白を獲得しようとする圧迫捜査,確定していない疑惑を直接中継したり組織内部の‘ストロー’を通じて言論に流し彼を‘破廉恥犯’に仕立て上げる被疑事実公表捜査などがそれだ。
もちろん前職大統領といっても腐敗捜査の例外になることはできない。しかし今回の捜査でイム・チェジン検察総長の持論である“節制と品格のある捜査”は消えた。自ら政治的死亡宣告を下した盧前大統領に‘降将不殺の基本礼儀を守るどころか‘ 罪人引き回し’式捜査が続き、彼は最小限の自尊を守ろうと極端の選択をしてしまった。検察の刃物が‘活人剣’ではなく‘殺人剣’になってしまったのだ。

ここで私たちは先に盧前大統領に対する捜査がいかなる政治的・社会的脈絡で成り立ったかに留意しなければならない。過去検察は検察改革を推進したノ・ムヒョン政府とずっと対立してきたし、平検事らまでが大統領と‘喧嘩’しようとする姿を見せた。そうすることで検察は政治権力からの独立を享有することができた。

ところでイ・ミョンバク政府になって政権がロウソクのあかりで彷徨い検察は政権と癒着し政権守護の先頭に立った。検察はミネルバ事件,‘PD手帳’および<YTN>事件などで法理的無理にもかかわらず政府批判ネチズンと言論人を処罰しようとした。ろうそくデモ参加市民および市民・社会団体に対しては‘第5共和国'式強硬処罰を主導し、‘龍山惨事’裁判では1万500余ページに達する捜査記録中の2600余ページを公開せずに撤去民処罰を陣頭指揮している。

このように批判者と反対派を皆 ‘犯罪人’ と規定し刑罰で鎮圧することにより法秩序を維持しようとする ‘過剰犯罪化’ および ‘硬性法治化’ 政策に対し検察内部から勇気ある問題提起が出てきたという便りは聞くことができなかった。検察が要求した政治的独立性は自身の利益や、口に合わない政権からの独立性だけだったのか。もし今イ・ミョンバク大統領が検事との対話の席を作るならば、平検事らはイ大統領を過去に盧大統領に対したようにできるだろうか。

盧前大統領に対する捜査はまさにこのような状況で進行された。単に前職大統領の腐敗疑惑に対する厳正な捜査次元ではなく、現政権の危機を打開する方案として退任大統領に ‘犬の恥さらし’ を与え彼を ‘物故’させようとの政治的決定が検察上層部で成り立ち、検察はこれを執行しようとしたという情況が随所に伺える。反面、検察は ‘生きている権力’ との対決には躊躇している。検察でイ大統領の3番目婿のチョ・ヒョンボム韓国タイヤ副社長の株価操作疑惑事件、チョン・シニル,イ・サンドク,チョン・ドゥオン氏など実力者が登場する税務調査ロビー事件、イ・ジェオ氏の留学費用の出処などに対し盧前大統領に対する捜査ぐらいの努力を傾けたか疑問だ。

‘検事’はたびたび自らを‘剣士’に喩える。これらは捜査権と公訴権という二つの剣を振り回し犯罪との闘争を行うという自負心を持っている。腐敗犯罪と企業犯罪を専門担当する中央捜査部や特捜部所属検事たちの献身も知っている。しかしその自負心が権力の意向と利益の範囲内で偉そうに振る舞うことで、その献身が権力が打っておいた枠の中でぐるぐる回ることならば何の意味もない。またその刃物が権力の顔色を見る刃物だとか権力の意向により振り回す刃物ならば検事の手にある必要はない。

今こそ検察は自身を点検して回らなければならない。自身が権力の要求から独立した美しい姿で、罪は殺して人は生かす節制された‘剣舞’を舞っているのか、あるいは権力の誘惑に酔った醜い姿でむやみに人を捕まえる与太者を踊っているのか。政権の信頼を得ることに汲々として国民の信頼を失う検察に未来はない。

チョ・グク ソウル大教授・法学

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/358272.html 訳J.S