原文入力:2009-06-02午前11:06:01
←キム・ソンジュ言論人
新聞もテレビも見たくなかった。文を書くことも本を読むこともできなかった。息をすることも、話をすることもうんざりだった。そんな10日間が過ぎ去った。
故人が残した遺書を読みまた読んだ。言葉と文で自身の意見を表明することを楽しみ、また資料として残すことを願っていた盧武鉉前大統領のあまりにも短い遺書を読んではまた読む。行間にひょっとして他の解釈が可能な何かありはしないかと思ったからだ。
それほど是非を分けるのが好きだった大統領だった。だから大統領の資格がないという批判を多く受けた。大統領の席に座ったからといって突然是非を分けることを止めて、良いことは良いことだからと言っておおまかにやっていくことは彼のスタイルではない。そんな彼がこんなにまで短い遺書を残した。
新聞と放送が吐き出す言葉と追慕映像が嘘のようだ。何が申し訳ないということなのか。何がありがたいという言葉なのか。何から守ることができなかったという話なのか。
一人当り国民所得が6000ドルを越えれば民主主義国家が全体主義国家に変質した歴史的事例はないと政治学者と経済学者は断言した。誤った判断だ。彼の退任後、私は「盧武鉉時代をたどりながら絶対権力の時代を、その川を渡った」と書いた。(2008年3月5日付 ‘盧武鉉氏出てきて下さい’)を取り消す。任期を終えた大統領がボンハ村の里長みたいに暮らすことができた。私の願いだった。安易な考えだった。大韓民国は国民所得6000ドルを越えても全体主義国家に変わっていく歴史を今書いている。
パク・キョンニ先生が晩年に書いた詩を集めた遺稿集<捨てて行くことだけ残って本当に気楽だ>を読んだ。‘…朴正熙軍事政権時代/私たちの家族は忌避人物として生きたし/島流しのような貞陵で生きた。/なぞは私たちが左翼と右翼の圧迫を同時に受けたという事実だ。/人間がどれほど醜悪になりえるかを骨が崩れるように目の前で見なければならなかった太平洋戦争と6.25を体験したが、そのような世の中は初めてだった。/悪は強力だったし天下無敵だった/逆賊は三族を滅ぼすという昔の観念に捕われた知り合いたちも私たちを振り払って行く…/’まさにそのような時代に私たちは帰っている。
ボンハ村で彼が被った天下無敵の悪は何だったのだろうか。強きものに弱く弱きものに強い人々の心の底の卑怯さであったか。一挙手一投足が監視され電話とEメールが盗聴されるかも知れない状況であったか。ろうそくデモで四面楚歌になったイ・ミョンバク大統領がボンハ村の彼を言論に餌として渡したことだろうか。彼が返した権限を政権が変わるや、頼むから私たちを走狗として下さいと権力に捧げた検察であろうか。
彼が大統領になった時、私たちの社会の既得権層は高卒出身の大統領を露骨にばかにした。大統領職を退き故郷に帰るや、これもまた嫉妬の対象になった。孫娘を乗せてあぜ道を走る彼の平和な老年も目障りだとして見てあげられなかった。今や彼の自殺までも嫉妬する。餌がなくなったから。彼の火葬と小さい碑石一つまでも嫉妬する。持ち物が多すぎて自分たちにはできないことだから。その頂点に保守既得権言論がいる。
誰が和解と容赦を語るのか。死んだ権力をメッタ切りして、市井の輩で、路上のごろつきで、彼が暮らす土作りの家を華麗な豪邸として描写し侮辱した言論が、一番最初に立ち上がって和解と容赦を語る。死の本質を曇らせようとしている。和解を先に求めるのは自身がドキッとした勢力どもだ。彼の死に直間接に関与した勢力どもだ。天下無敵の悪だ。言論法をはやく処理しないと言って顔面を没収してハンナラ党とイ・ミョンバク大統領を非難した彼らだ。是是非非を分け彼が書き残した遺書を国民の力に使わなければならない。本当に守ることができなくて申し訳ないならば。
キム・ソンジュ言論人
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/358107.html 訳J.S