原文入力:2009-05-07午後07:18:52
チョン・ギョンモ-漢江も流れタマガワも流れて4
←筆者が東京マッカーサー司令部の軍務員(DAC) ‘K. M. CHUNG’の名前で初めて投稿した文 ‘コリアンのための抗弁’ が載せられた英字新聞<ジャパン タイムズ>の1951年3月28日付. 最近新聞社に要請して受けとった当時の新聞。
とにかくも韓国が日本の支配から解放されたという時点からわずか5年が過ぎた1950年当時、日本政府や言論が南北を分かたず在日‘チョウセンジン’に浴びせる差別と敵がい心は本当に驚くべきものだったと言わざるをえませんよ。ベルが鳴れば反射的に胃液を分泌するパブロフの実験動物のように、強盗殺人事件のようなものがあれば、聞くまでもなく日本言論は朝鮮人がしたことと見て非難攻撃を吐き出すことが通例だったと言ってもまあ間違いではなかったんですよ。当時日本社会には政府や言論を問わず、朝鮮人を引きずり降ろすことで自分たちに対する米国人の評価を持ち上げようと思う何か意図的政略が発動しているのではないだろうかと疑うほど在日朝鮮人に対する反感の扇動が激しかったのです。
米極東軍司令部という職場にいたおかげで、私はマッカーサー将軍宛てに送ってくる投書のようなものも読む機会があったけど、その中には「チョウセンジンは獅子身中(恩恵を得てもむしろ害を与えるという意)の虫けらであり、日本の民主化のためには癌的な存在」というものもありました。当時、大阪近郊の伊丹飛行場は北韓に対する爆撃基地でしたから、毎日のように朝連(総連の前身)傘下の朝鮮人たちが集まって抗議運動を行ったことがあったんですよね。これについてマッカーサー将軍に送った手紙もあったが読んでみると「伊丹飛行場のその騒乱は日本社会の秩序を無視する悪質なチョウセンジンらの法律違反行為であるに過ぎず、いくら外見は同じだと言っても私たち日本人はチョウセンジンとは違う。だから頼むから誤解しないでくれ」というものでした。
こういう局面で起きたのが東京築地のあるラーメン屋を襲った殺人強盗事件でしたが、犯人は主人の家族を斧で惨殺しその死体をバラバラにしたおぞましい事件でした。事件の発生日は51年2月23日ですね。
この事件に対して<朝日新聞>(2月24日付)は,その家の使用人山口という者の証言により ‘夜遅く侵入した犯人は長髪で顔が長い27~28才の男だったが、濁音の発音が不自然な点から見て日本人ではなかったようだった’ という記事を報道したのです。
同じ日の<毎日新聞>記事はより一層具体的で、山口が夜遅く小便をしに階段を降りて行ってみるろ、26~27才の体格ががっしりした男がいたが、見たのは後ろ姿だけなので顔はよく見なかったけれど頬骨が飛び出していて顔色は青黒い点から見て犯人はチョウセンジンだったようだという文を大扉ほどの活字で報道したのです。
山口の証言が<朝日>と<毎日>に報道されるや、東京の各新聞は「頬骨が飛び出していて顔は青黒く、その上濁音発音が異常なチョウセンジン」を捜し出すのに十分に狂的という程に熱を上げていました。こういう種類の事件が発生すれば当然に識者と言われる人々のコメントが載せられるものだが、その中には「このように残忍な犯罪は日本人ではありえない」というのもありました。
この騒乱の中で私自身は言うまでもなく在日朝鮮人たちが南北を分かたずどれほど戦々恐々,身を置くところを知らない毎日を送ったか想像してみて下さい。
ところが、事件発生後17日ぶりに犯人が捕えられたが、あきれることに事件の証人として言論の脚光を浴びていた山口本人だったのですね。彼はもちろん日本人でしたね。
←チョン・ギョンモ在日統一運動家
あまりにとんでもなくて煮立つ悔しさをこらえる方法がなく、すぐに筆を執って<ジャパンタイムズ>投稿欄に文を書いて送らずにいられましょうか?<朝日>や<毎日>ではなく英字紙に英文の手紙を送った理由は、昔ナチス ドイツが自分たちアーリア民族は支配民族として選択された特殊な民族で、そのような選民思想を強調するためにユダヤ人たちを賎民として迫害したように、日本民族は天から降りた天孫民族で、反対に朝鮮人は生まれつき賎民に生まれた劣等民族だという点を米占領軍当局に納得させようとするために日本政府が先に立って喚き出す姿が私の目には歴然と見えたためでした。
その投稿は ‘コリアンのための抗弁’(Koreans Defended)という表題で51年3月28日付のその新聞に載せられました。今顧みれば韓国戦争初期の新聞に投稿したその文が、20年後の70年、私が亡命者として日本にきて展開することになる文筆活動の最初になったと言えるでしょう。
チョン・ギョンモ在日統一運動家
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/353740.html 訳J.S